厄除け登山で山の神仏から元気を頂く! ~高尾山のパワースポット&空海の足跡を巡る~

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山岳ガイド&巡礼先達である太田昭彦ガイドの知識を通じて“新型コロナ退散を祈願し、心と身体の免疫力を上げる”新時代の登山スタイルを提唱する新連載。第2回目の今回は、東京・高尾山に点在する山岳信仰の由来を紐解きながら「厄除け登山」に役立つ知識をご紹介します。

文=鷲尾太輔

 

東京都西部に位置する高尾山。都心から1時間弱でアクセスできることから、年間260万人とも言われる人々が訪れます。2007年にはミシュランガイドで最高ランクの“三つ星”観光地に、2020年には東京都初の“日本遺産”にも登録されました。

首都圏のハイカーや登山愛好家なら一度ならずとも訪れたことのあるであろう高尾山。しかしその本質は「新義真言宗智山派 高尾山有喜寺」の寺域として豊かな自然が守られた場所であり、山岳修験道の行場。山中には、今もその名残を色濃く留める社殿・祠・遺構などが点在しています。

今回は太田ガイドの案内による高尾山パワースポット巡りに同行。普段は通り過ぎたり見落としたりしてしまいがちなポイントの由来を伺いながら、高尾山にお住まいの神さま・仏さまに厄除けを願う巡り方をご紹介します。

今回歩いたルート(ヤマタイムにて作成)

 

人々を救うことに生涯を賭した空海・行基と高尾山の関わり

高尾山薬王院有喜寺(たかおさんやくおういんゆうきじ)は真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)の寺院です。そして、真言宗の開祖は言わずと知れた空海(くうかい=弘法大師)です。幼少期より天才とされ当時の英才教育を受けながらも、そのまま役人の道に進むことが「人々を救うことになるか?」という疑問に駆られ、エリートコースを抜け出して僧侶の道を歩み、唐(中国)に渡って密教の教えを日本にもたらした人物なのです。

高尾山の開祖とされる行基(ぎょうき)も、唐に渡り玄奘(げんじょう=三蔵法師)の教えを受けた人物。治水・灌漑・架橋など今でいう“社会事業”に尽力し、人民の救済に努めた僧侶です。行基が活動した6世紀半ばは、新型コロナウイルスよりも遥かに致死率の高い「天然痘」が日本で最初に大流行した時期でもあり、行基は天然痘流行の終息祈願がきっかけとなった奈良の大仏造営にも携わりました。

そこから数十年の後に産まれた空海の志も、日本の人口のうち25~35%が死亡したとされるこの疫病の苦難から立ち直る人々に寄り添う気持ちから発したことは、想像に難くありません。

そんなふたりの僧侶に想いを重ねて、高尾山を歩いてみましょう。

不動院の弘法大師像を前に語る太田さん

 

入山前に訪れておきたい“高尾山内八十八大師めぐり”の起点・終着点

空海を偲ぶ人々が今も多く訪れる「四国八十八ヶ所霊場めぐり」。密教を本格的に体験するのには最適な修行ですが、その距離は約1300km、なかなか気軽に臨むことはできません。

そんな人々のために、薬王院の第三十六代山主・志賀照林大僧正は自ら四国八十八ヶ所霊場を巡り、各札所の土を持ち帰り山中の各所に納め、八十八の弘法大師像を建立しました。実はこの「高尾山内八十八大師めぐり」の起点と終着点が、高尾山の玄関口にあるのです。

登山口周辺の史跡(ヤマタイムを元に作成)

 

【1】不動院(ふどういん・第八十八番札所)

1号路へ向かう道の右手にあるお寺が不動院(ふどういん)。普段はまっしぐらに登山道へ進んでしまいがちですが、このお寺こそ“高尾山内八十八大師めぐり”の第八十八番札所・結願所なのです。通常は第一番から第八十八番をめざす「順打ち」が一般的ですが、今年(2020年)は閏年。4年に一度のこの年だけは、第八十八番から第一番をめざす「逆打ち」でお参りすると、ご利益が三倍になると言われています。

まずは不動院に参拝しましょう。お参りの基本的な作法は「脱帽」です。登山中は帽子を被っている人も多いでしょうが、山中の寺院・祠や仏像に祈りを捧げる際だけは、帽子を脱いでお参りしましょう。

この不動院に祀られているのが「不動明王(ふどうみょうおう)」。左手に持つ羂索(けんじゃく)と呼ばれる投げ縄でお参りする人の“煩悩”を掬い取り、右手に持つ剣で切り刻み、炎の形をした光背・迦楼羅(かるら=伝説の巨鳥・ガルーダ)で焼き尽くして下さるご利益があります。

ところで、私たちにとっての煩悩とは何でしょう。単に「今日は頑張って登山したから、下山後は少し贅沢して、美味しいものを食べて温泉で寛ごう!」は煩悩には当たりません、仏教では三毒とされる、貪(とん=貪る)・瞋(じん=怒る)・痴(ち=愚かさ)などの“善くない行い”を、消し去って下さるのが不動明王なのです。

不動明王をはじめとする仏様にお参りする際に本来お唱えするのは“ご真言”。梵語(サンスクリット語・仏陀が活動した時代のインドの古代語)であるご真言で不動明王にお唱えすると「ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」となります。とても覚えられない…そんな人も多いと思いますが、仏様のお名前の前に“南無”を付けるだけでも大丈夫ですよ。「南無不動明王(なむふどうみょうおう)」とお唱えしましょう。

不動院の本堂

 

【2】第一番~第八番札所

ケーブルカー・リフト乗場の手前の広場の片隅にあるのが第一番〜第八番札所、八体の弘法大師像が並んでいます。「順打ち」で巡る場合は、ここから山内八十八大師巡りがスタートします。

交通網も発達していなかった時代、なかなか四国に訪れることのできない人々のための「ご当地霊場」が全国各地に開創されました。東京都内にも江戸城周辺の弘法大師ゆかりの寺を巡る「御府内八十八ヶ所」があります。

第一番〜第八番札所

 

【3】飯縄大権現遥拝社(いいづなだいごんげんようはいしゃ)

高尾山薬王院有喜寺の御本尊は飯縄大権現ですが、様々な事情で高尾山に登山できない人でも御本尊に参拝できるのがこの場所です。日本の山岳信仰は元々、山麓から山を「遥拝」することから始まりました。平安時代になり山岳修験道が盛んになると、山伏たちが実際に山中に入り修行する「登拝」も行われるようになったのです。

飯縄大権現遥拝社


それでは、清滝川のせせらぎに沿って6号路を歩きましょう。実は川にも神さまがいらっしゃり、それが弁才天(弁天様)です。古代インドの川の名前を冠された女神・サラスヴァティーが語源である弁才天は、習いごと・芸ごとの神さまです。川の流れのように流暢な弁舌や、川のせせらぎのように心地よい楽器の演奏を、人々は弁才天に願ったのです。山の中で渓流や沢に出会ったら、そんなご利益を持つ弁才天を思い起こしてみて下さい。

 

【4】石仏群

しばらく歩くと右手に現れる石仏たち、その中段に並ぶ7体の神さまが七福神です。室町時代後期から始まった七福神信仰が一気に隆盛したのが江戸時代。徳川家康の側近でもあった天海僧正が、江戸市民の心の安寧のために七福神巡りを推奨したことで、今でも七福神巡りをする人は多く特にお正月は各地の七福神が賑わいます。

実はこの七福神、3つの国が発祥の神さまです。大黒天・弁才天・毘沙門天はインド(ヒンドゥー教)の神さま、寿老人・福禄寿・布袋は中国(道教)の神さま、そして恵比寿が日本(神道)の神さまです。

この恵比寿は、実はイザナギ・イザナギの子でありアマテラスオオミカミやスサノオの兄弟に当たります。ところが3歳になっても歩くことができなかったため、蛭子(ひるこ)として水に流し、常世(とこよ)から再生して戻ってくることを願うという、当時の風習に従って、芦の船に乗せられて海へと流されてしまいました。しかし恵比寿は浜辺に打ち戻され、常世からの使いとして地元の人々に大切に育てられたのです。鯛を抱えた姿が大漁旗にも描かれる漁業の神さまとして今でも親しまれている背景には、こんなドラマが隠されていたのですね。

七福神をはじめとした石仏群

 

修行と信仰の名残を色濃く留める岩屋大師・琵琶滝周辺

清滝川のせせらぎに沿って6号路を進むと到着するのが岩屋大師・琵琶滝。ここから先は、観光マップなどに「~号路」「~コース」としては記載されていない、高尾山では比較的険しい道を進みます。この道こそが、かつての修験者たちも多く通ったいにしえの登山道。沿道には、様々な信仰の名残が点在しています。

琵琶滝周辺の史跡(ヤマタイムを元に作成)

 

【5】岩屋大師(いわやだいし)

清滝川に沿ってさらに進むと、山の斜面に岩屋大師と呼ばれる2つの洞窟が現れます。弘法大師が高尾山を登拝した際に、嵐の中を歩く病の母親と娘の親子に出会いました。そこでお祈りを捧げたところ現れたのがこの洞窟、親子はここで嵐をやり過ごすことができたという伝説が残っています。

私たちが訪れた際も、薄暗い洞窟に御神酒を備え木魚を鳴らしながらお参りする方に出会いました。高尾山が今でも信仰の対象であり続けていることを、深く実感した出来事です。

岩屋大師

 

【6】琵琶滝

いよいよ6号路のハイライト・琵琶滝に到着です。ここでは現在でも滝行と呼ばれる滝に打たれる修行が行われています。太田さん自身も滝行を体験したことがあるそうですが、全身の細胞が生まれ変わったような清々しさを感じ、緑はより濃く、空はより青く見えたそうです。

東京では、奥多摩・御岳山でも宿坊に宿泊して翌早朝に綾広の滝で滝行を体験できます。一度は経験してみても良いかもしれませんね。

琵琶滝

 

【7】第九番~第十六番札所

琵琶滝から6号路と分れ、階段上の斜面を登っていくと尾根上に広場が現れます。この場所が第九番〜第十六番札所。八体の弘法大師像が並んでいます。一見するとお地蔵様にも見えますが、五鈷杵(ごこしょ)という仏具を持っていらっしゃるのが弘法大師像の証。それぞれの像の前で「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」とお唱えしてみましょう。

立ち並ぶ大師像

 

【8】修験の道

ここから1号路・十一丁目茶屋付近に合流するまでの道は、本日いちばんの急登。1号路からの入口には「悪路注意」の看板も設置されています。露岩帯の斜面は確かに険しく、登りでの利用がおすすめですが、いにしえの修験者たちも数多く通った自然が色濃く残る道。登拝修行には、もっとも相応しい体験ができることでしょう。

露岩帯の険しい登山道
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プロフィール

太田昭彦

高校ワンダーフォーゲル部時代に登山の魅力に目覚め、社会人山岳会で経験を積み、旅行業から山岳ガイドに転身。また、20歳の時に高野山で十善戒を授かってから神仏とのご縁が少しずつ深まり、42歳で巡礼先達の道を歩み始める。登山教室「歩きにすと倶楽部」を主宰して登山者に安全で正しい登山知識・技術を伝達しつつ、地元埼玉の秩父三十四観音霊場をはじめとする巡礼の道を歩く人々を先導する「語り部」としても活躍中。著書に『ヤマケイ新書 山の神さま・仏さま 面白くてためになる山の神仏の話』(山と溪谷社)ほか。

(公社)日本山岳ガイド協会認定山岳ガイド・埼玉山岳ガイド協会会長・四国石鎚神社公認先達・四国八十八ヶ所霊場会公認先達・秩父三十四ヶ所公認先達。
https://www.facebook.com/alkinistclub

山の神さま・仏さまに元気をいただく新時代の登山

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