登山前に知っておきたい、病気・疲労への対応方法 ~長野県「登山Safety Book」より

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近年、山岳遭難事故の中で増加傾向にあるのが、登山中の発病だ。登山中に発症し、命を落としてしまう例もしばしば見られる。心臓が悪いなど、もともと基礎疾患があり登山中に悪化するケースもあれば、熱中症や低体温症など、環境要因のものもある。ここでは、それぞれのケースの対処法について説明する。

文=国際山岳医・登山ガイド 千島康稔

目次

登山中の体調不良について

1.基礎疾患がある人の注意点

山には救急車は来てくれませんし、車で病院を受診することもできません。登山中に体調不良になった場合は、自分たちで下山して病院を受診するか、救助要請をして搬送してもらうことになります。救助要請をして運よくヘリコプターで救助してもらえたとしても、その出動準備や搬送に時間を要し、病院を受診するまでには早くても1~2時間近くかかってしまいます。

持病があって登山をする場合には、悪くなってから対応するのではなく、悪くしないためにきちんと準備をして、場合によってはあらかじめ主治医と相談する必要があります。

心臓病

安定している不整脈や狭心症、ペースメーカーを入れている人でも登山が可能な場合もありますが、必ず専門医に相談してください。一般的には、(220-年齢)×0.75以下の心拍数で歩くのが安全といわれていますが、個人差が大きいです。運動負荷試験などで、自分に合った歩き方を教えてもらいましょう。

また、抗凝固剤を飲んでいる人は、特に脱水に注意が必要です。

それまでに心臓病の既往がなくても山で突然に発症することもあります。胸が締め付けられるような痛みや圧迫感が強いときは、登山を中止して早めの病院受診を考えましょう。

高血圧症

軽度の高血圧できちんと薬でコントロールされている場合は登山可能です。一方、薬を飲んでも血圧が安定しなかったり、脳卒中や心臓病などの合併症を起こしたことがあったりする人は、登山に危険がともないます。

健康診断などで高血圧を指摘されていて、まだ病院を受診していない人は、必ず専門医を受診して判断してもらってください。

高血圧の合併症としての脳卒中は、発作後4時間半を境に大きく治療方法が変わることがあります。顔のゆがみ、四肢の麻痺、ろれつが回らない、強い頭痛や吐き気などの症状があれば、大至急病院を受診する必要があります。

糖尿病

普段の生活と異なり、大きな運動負荷がかかったり食事の摂取が不規則になったりすると、血糖値の変動が起こりやすくなります。使っている薬の種類によって対応方法が異なりますので、主治医に確認して指導を受けてください。

登山中に普段以上に疲れたり怠さを感じたりするときは低血糖の可能性があり、早めの対応が必要です。

慢性呼吸器疾患

標高1800mで平地の8割、標高3000mでは平地の7割程度に気圧が下がります。そのぶん酸素の取り込みも悪くなりますので、普段の生活で症状が出ない人でも注意が必要です。平地で酸素飽和度(パルスオキシメーター値)が95%以下の人は、標高2500m以上の高地に行くのは注意が必要です。

 

2.環境要因による体調不良

基礎疾患がなくて普段は特に体調不良を感じない人でも、登山による環境の変化や運動負荷によって具合が悪くなることがあります。あらかじめそれらの疾病についての知識をもつことで、予防と早めの対応ができるようにしておきましょう。

高山病

一般に標高2500m以上でなりやすいと言われていますが、それ以下の標高でもなることがあります。身体の中への酸素の取り込みが充分にできず、細胞の内と外の水のバランスが崩れて、頭痛・吐き気・めまいや脱力感などの症状が現れます。標高が高い場所に移動してすぐになるのではなく、数時間してから症状が出るのが特徴です。

予防方法としては、「ゆっくりと標高を上げる」「意識して呼吸をする」「水分をしっかり摂る」ことが大切です。風邪のひき始めや治りかけなど、登山前に体調不良があると、普段は高山病にならない標高でも症状が出ることがあるので、注意が必要です。

対応方法としては、「運動量を減らして休息をとる」、「休むときは水平に横にならずに上半身を少し起こした状態を保つ」、「水分を摂取する」などに加えて「口をすぼめた深呼吸」が有効です。

口すぼめ呼吸とは

ロウソクを吹き消すときのように、口をすぼめて頬を膨らませながら息を長く吐く呼吸です。口をすぼめて頬を膨らますことで、口の中の圧力が上がり、肺の空気圧も上がります。また、抵抗をかけて長く息を吐くことで、肺胞(酸素を取り込む肺の小部屋)にしっかりと空気が送り込まれていきます。

大きく息を吸う口をすぼめて、頬を膨らませながら長く吐く

これらの対応をしても症状がよくならない場合は、標高を下げることを考えましょう。「動けないくらいの強い頭痛」、「ぐるぐる回るようなめまい」、「会話などの反応が鈍い」場合は、高地脳浮腫を疑います。

また、「ちょっと動くだけでも息切れする」、「咳が出始める」、「顔が青白い・唇が紫色」の時は高地肺水腫を疑います。どちらも生命に関わる状況で緊急下山の必要があります。頭痛薬や胃薬は症状を抑えるだけで根本的な治療ではありません。

パルスオキシメーター(血中酸素飽和度測定器)。標高2700mで平均90%、85%以下の場合は要注意

 

熱中症

身体の冷却機能が充分に働かずに異常に体温が上がった状態です。Ⅰ度では、手足のしびれや筋肉の硬直・立ちくらみといった症状。Ⅱ度では頭痛・吐き気・嘔吐・倦怠感・虚脱感など。重症のⅢ度では、Ⅱ度の症状に加え、全身の痙攣、手足の運動障害、意識障害(会話などの反応が鈍い)などが現れ、全身がほてった状態でも汗をほとんどかいていない場合もあります。山中ではⅡ度の早期に気付いてしっかりと対応する必要があり、Ⅲ度の場合は緊急の救助要請が必要です。

基本的には電解質(塩分)を含んだ水を充分に飲むことが予防につながり、症状が出始めたら、日射しを避けて涼しい場所に移動し、衣服をゆるめて身体を休めます。また、首筋、わきの下、鼠径部を冷やします。

症状が強い場合は、濡らした手ぬぐいやガーゼを胸や腹にかけてあおぎます(人工の汗を作る)。この時、冷たい水を使うと皮膚の血管が縮んで熱がこもってしまうので常温で濡らしてください。

熱中症対策の三種の神器

登山用傘、コールドスプレー(ともに90g程度)、うちわの3つです。傘で日射しをさえぎり、コールドスプレーで冷たいタオルなどを作り、うちわで風を送りましょう。

水分摂取の仕方

前述のように、高山病・熱中症ともに、水分をしっかり摂って脱水を避けることが重要です。山本正嘉先生(鹿屋体育大学教授)の研究では、あまり汗をかかずに登山していても1時間あたりに体重(kg)の5倍の水分(ml)を失い、そのうちの8割は行動中に摂取したほうがよいとされています。

つまり、1時間あたり、最低でも体重(Kg)×4mlの水分を意識して摂りましょう(体重50kgの人なら1時間に200ml)。できれば、スポーツドリンクのような電解質(塩分)を含むものがいいです。

 

低体温症

身体の表面から奪われていく熱に対して、体内の熱産生が追いつかずに体温が低下してしまう状況です。寒さを感じて、最初に震えが出ることが多いですが、震えがないままに倦怠感や虚脱感といった症状が進行していく場合もあります。フラフラとよろめいたり、しっかりした会話ができないなど、意識障害が出始めたら緊急を要します。

予防としては、身体を冷やさないことが第一で、衣服が濡れたり風に吹かれると急速に体温を奪われるので注意が必要です。また、充分なカロリー摂取と水分摂取が大切です。

体調不良時の対応としては、熱が奪われる経路としての、対流(風)、伝導(衣服の濡れ、地面との接触)、蒸発(汗や濡れの気化熱)、放射(体表面からの赤外線)を意識して、寒さからの隔離・保温・加温を考えましょう(ツエルトやレスキューシートの使用、地面の上にマットやリュックを敷く、湯たんぽを作って首・腋・股を温めるなど)。

また、カロリー摂取をして体内からの熱産生を促すことも大切で、甘くて温かい飲み物を飲むのがおすすめです。

 

登山中の疲労の予防と対策

「登山は疲れるもの」とのイメージもあるかもしれませんが「疲れないで登る方法を身につける」ことが大切です。「心地よい疲労感」は達成感にもつながるかもしれませんが、それが「疲弊」になってしまうと、つまずきや転倒からケガや転滑落につながりますし、判断力の低下や、最悪の場合は行動不能に陥ります。

なるべく疲れないで登るためには、歩幅を狭くして足の裏全体で身体を持ち上げる感覚(つま先で蹴り出さない)で、登山道のなかでもなるべく小さな段差を見つけて登ることです。また、一定のリズムで歩くことも大切で、歩いているときの脈拍を、(220-年齢)×0.75以下に抑えるとよいといわれています。

また、休憩時間にこまめにストレッチをすることもおすすめです。筋肉が温まっているときにすれば、より効果的です。登山でよく使うふくらはぎ(下腿三頭筋)、大腿前面(大腿四頭筋)、殿部から大腿後面(ハムストリング)を意識して行ないましょう。

もうひとつ、疲労対策として忘れられがちなのが、水分摂取とカロリー摂取です。水分摂取については前述の通りですが、カロリーについても同様の式で計算できます。

すぐにエネルギーになって効果が出やすいのは糖類(飴、チョコ、羊羹など)ですが、ゆっくり代謝されて持続性があるのは、炭水化物(米・パン・イモなど)や脂質です。これらをうまく組み合わせた行動食を用意していきましょう。

行動食の例

空きボトルに、チョコレート、煎餅、ピーナッツなどをあらかじめミックスして入れておくと手軽です。登山の行動食用として市販されているものもあります。

千島康稔
日本登山医学会認定 国際山岳医/日本山岳ガイド協会認定 登山ガイドステージⅢ。長野県松本市在住。2016 年まで松本市相澤病院に勤務。その後は病院を退職し、フリーランスの山岳医・登山ガイドとして、医療従事者と登山の専門家と双方の視点で、安心・安全な登山をサポートする活動を行なっている。
2020 年以降は、毎年60 日程度、北アルプス大天荘に山岳医療相談員として滞在し、遭難予防および安全登山の啓発を行なう。

※本記事は、長野県が毎年春に発行している小冊子『登山Safety Book ~無事帰るまでが登山』(2024年版)に掲載されている内容を転載したものです。

「登山Safety Book」主要登山用品店などで配布中!

日本アルプスの山々に囲まれ、多くの名峰を有する長野県は日本随一の山岳県で、県内外から多くの登山者が訪れる場所だ。魅力的な山岳地がある一方で、山岳遭難事故は年々増加傾向にある。

そこで長野県では、登山情報を広く提供し安全登山を促すために、小冊子「登山Safety Book」を毎年発行して、各所に配布。このほど2024年版が完成した。

2023年の山岳遭難件数は302件と、過去最多を記録した前年を上回る状況だが、その中身を確認すると中高年層が全体の約8割を占める結果となっている。また、体調不良や疲労、体力・技術不足といった遭難が目立っている状況にある。

そこで今回の『登山Safety Book』では、特集として「中高年登山者向け読本」を掲載。その一つが、本記事で紹介している千島康稔さんによる「病気・疲労への対応方法」だ。この特集記事以外にも、長野県警察山岳遭難救助隊の隊長、岸本俊朗さんのインタビューなど、安全登山のためになる企画を掲載している。

ほかにも、安全登山をサポートする各種情報、信州の山の魅力を紹介するガイド記事なども掲載。4月より主要登山用品店の店頭で無料で配布されているが、入手が困難という場合は、長野県警察のホームページからPDFをダウンロードして閲覧できるので、この機会にぜひ手にしたい。

⇒『登山Safety Book ~無事帰るまでが登山』のダウンロード(PDF)はこちら

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