「もっと力持ちだったらなぁ」登山道整備に草刈り・・・山小屋外作業は力仕事!

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黒部源流の山小屋、薬師沢小屋で働くやまとけいこさんが、イラストとともに綴る山小屋暮らし。文庫版が発売された『黒部源流山小屋暮らし』(山と溪谷社)から一部を抜粋して紹介します。

文・イラスト=やまとけいこ

外作業

山小屋でいう外作業とは、おもに登山道整備、草刈り、小屋周りの整備・修繕を指す。基本的に力のいる外作業は男性の仕事で、女性は小屋内での作業がほとんどだ。私も以前はお弁当を作って「行ってらっしゃい」と送り出す側だったが、近年男性スタッフが少なく、薬師沢小屋の支配人になった経緯もあり、外作業をする機会がグンと増えた。しかし私はすでに、人生もそろそろ半世紀を迎えるという年齢だ。正直なところ、いまさら力仕事?というのが本音でもある。だが、やるしかない。

外作業のなかでもハイライトとでもいうべき作業が、橋の架け下ろしだ。作業は例年、太郎平小屋にいる長期スタッフで行う。太郎平小屋から薬師沢小屋の間には、第一徒渉点、第二徒渉点、第三徒渉点と三カ所に橋が架かっているが、冬の間は雪の重さで橋が潰れてしまうので、シーズンが始まる前に橋を架け、シーズンが終わると撤去をする。この橋が木材にFRP樹脂でコーティングを施したもので、また重い。

とくに第二徒渉点の橋は長く、木材一本を男手四、五人で運ぶくらいの重量だ。川の真ん中には橋桁代わりの蛇籠が二つ組んであり、ここを中継して橋を渡す。蛇籠はたびたびの大増水にもまれ、いまやひしゃげて高さが足りなくなってしまったが、木道の切れ端や丸太を積んでかさ上げをしながら、毎年なんとか橋を架けている。重たい橋を担ぎ、川をバシャバシャと渡る男性陣は本当に頼もしい。

渡す木材の数は一組六本。バラバラの木材に長いボルトを通して、橋を一体化させる。ボルトも穴が少しずれただけで入っていかないから、前後左右と微妙な位置調整をしながら木槌で叩いて入れる。これが三カ所。橋がつながったら、増水で流れないようにロープでバックアップを取り、固定。私などはここまでで一日分の体力を消耗したような気分になるが、次は第三徒渉点に向かう。

第三徒渉点の橋の木材は、十メートルほど上の高台の木道上に置いてある。高台の下に置いておくと、橋の架かる場所が少し谷になっているので、木材が残雪に埋もれてしまうのだ。雪の中から掘り起こすよりは高台から運ぶほうがマシ、というわけだ。だがこの橋の木材、第二徒渉点のものより短いとはいうものの、一本軽く六十キロはある。これを前後二人で高台から下ろす。

私も皆にならって最初は肩に担ごうとしたが、さすがに男性とは肩回りの筋肉の付き方が違うようだ。とても担げない。仕方がないので両手で抱えて後ろについた。先頭はヒョイヒョイと下りていくが、後ろの私は長い木材に振り回されながらオットットと、うっかり転びそうになる。こちらは橋桁の中継が一カ所なので、計十二本。二組四名で六往復だ。非力な私の腕が「ちぎれる!」とばかりに悲鳴をあげた。

最後に第一徒渉点。こちらの橋はさらに短いので、いつも各小屋に人が散ったあと、太郎平小屋の中期スタッフだけで架けている。なので、私は橋架けではなく、橋下ろしの作業にしか行ったことがない。だが短いとはいえ、持ってみたら三十キロは超えている。おお、重い。ヨタヨタと抱えたら、「そんなに重そうにしなくていいから」と意地悪をいわれムッとしたが、重いものは重い。一本目をなんとか運び、二本目を持つが、力が入り切らない。またしても「ほら、そんなに重そうにしなくていいから。一人で運べるだろ」となぜか意地悪をいわれ、何クソと抱えるが、取り落としてしまった。

さすがに見かねた他のスタッフが「手伝いますよ」と声をかけてくれたが、そんな意地悪をいわれて一人で運ばないわけにはいかない。力を振り絞り二本目を運び、ついでに頭にきたから、最後に意地悪をいったそいつに向かって木材を放り投げてやった。「おおっ」といって避けていたが、それでちょっとスッキリした。

それにしても、ああ。自分がもっと力持ちだったら。もしも私が男だったら。いまの私では、ただ腰が砕けないように作業をするだけで精いっぱいだ。こんなことで、いったいあと何年山小屋の仕事を続けられるのだろう。ここにきてようやく自分の山小屋生活の終わりを感じ、少し寂しい気持ちになった。

山小屋の外作業

薬師沢小屋に移動して小屋開け作業がひと区切りつくと、今度は登山道整備が始まる。まず真っ先にやるのが大東新道方面の整備で、岩場の鎖付け、ハシゴの補修、看板の設置、草刈りがおもな作業になる。登山者が来る前に鎖だけは取り付けておかないと、増水時の通過が心配だ。作業が多く一日仕事になるので、朝からお弁当を持って二人で出掛ける。

大きな声ではいえないが、いまや薬師沢小屋の外作業の主導権は支配人の私の手の内にある。つまり責任が生じる代わりに自由も手に入るということだ。バール、ペンチ、番線、草刈り鎌、諸々の道具を持ち、私は最後にこっそりとザックにテンカラ竿を忍ばせる。なにせ支配人たるもの、今シーズンのイワナの動向もわからぬようではお話にならない。これも仕事のうち……。まあここでは休憩時間に二、三投するくらいの話にしておこう。

大東新道の鎖場は岩がもろい部分もあり、鎖を信用してテンションをかけすぎると、支点が壊れることもある。正直なところ、鎖にはあまり頼ってほしくない。だとしたら取り付けないほうがいいのではないかとも思うが、持っているだけで感じる安心感というものもある。判断が難しい。

危ない箇所だから取り付ける鎖ではあるが、使う人間はもとより、何もない状態で作業をする人間はとくに気をつけなければならない。新人にはいつも「絶対落ちないように」といってあるが、実は私自身が落ちそうになったことが一度だけある。落ちても死なないくらいの高さには見えるが、実際に落ちて亡くなった人もいるので、もしあのとき落ちていたらと思うと少し怖い。

その時私は一人で鎖の取り外し作業をしていた。岩棚の上でかがんだ状態で作業をしていて、支点から鎖を外した拍子にバランスを崩し、フワッと体が川側に傾いた。ヤバい!と思った瞬間、なぜか私の体はグイッと何か背中側から強い力で岩棚に引き戻された。えっ?

再び崖に張り付いた私は、思わず周りをキョロキョロと見回した。だが誰がいるはずもない。不意に私の胸に「守られている」という想いがあふれ、得体の知れぬ力に不思議を感じずにはいられなかった。山にいると、まれにそんなこともある。

大東新道は、B沢から山道に入る斜面の草刈りも大変な作業のひとつだ。シーズン始めの生命あふれ返る斜面には、人の背丈を超えるミヤマシシウドが乱立し、いったいどこが登山道なのかまるでわからない状態になっている。本当は草刈機を持っていけば作業も楽なのだが、薬師沢小屋からB沢まで草刈機や燃料を運ぶのも大変なので、私はいつも草刈り鎌で済ませている。

ザクザクザクと盛大に草を刈り払うと、足下からウド特有の野生味あふれる香りがブワッと立ち昇る。刈っては束ねて斜面に放り、と作業を繰り返しているうちにやがて腰が痛くなり、グーッと体を伸ばして後方を眺めると、自分の後ろに道ができているのが見える。草刈りは作業をやった分だけ形になるから、やりがいがあって面白い。

面白いは面白いのだが、そういっていられるのは、シーズン初めと秋の涼しい季節に限る。盛夏に草刈機を藪に突っ込んでみようものなら、蚊やらブヨやら、黒くて小さい羽を持った虫の大群に凄まじい襲撃をくらい、気が狂いそうになる。長袖、長ズボンにサングラスで防御はするが、片手で虫を払いながら、蒸し暑くて鬱陶しくて、実に面白いどころの話ではない。

ほかにも登山道整備は枝打ち、倒木切り、マーキングなど、きりがなく、設置から二十年以上経つ木道の傷みも、山小屋の力だけでは手の施しようのないところまで来ている。数年後に修繕の話はあるが、それまでにまた何件の事故が起こることか。加えて営業が本格的に始まれば、作業に費やす時間はほぼないといってもいい。頭を悩ませるところだ。

歴代の薬師沢小屋支配人の面々は、どうやってこの終わりのない外作業をこなしてきたのだろう。山小屋としての責務を維持すること。それすら私にとっては誰かの手を借りてようやく、こなしているといえるのかどうか。力不足に歯嚙みする思いのまま、支配人三年目の夏が終わった。

黒部源流山小屋暮らし

豊かな大自然、生き生きとした動物たちの姿、小屋のリアルな日常が目に浮かぶ。やまとけいこさんの名イラストエッセイ集『黒部源流山小屋暮らし』をついにヤマケイ文庫化!

やまとけいこ
発行 山と溪谷社
価格 1,100円(税込)
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プロフィール

やまとけいこ

1974年愛知県生まれ。山と旅のイラストレーター。武蔵野美術大学油絵学科卒業。29歳の時に山小屋のアルバイトを始める。シーズンオフは美術の仕事やイラストレーターとしての仕事をして過ごし、世界各地へ旅している。
イラストレーターとして『山と溪谷』などの雑誌で活動するほか、アウトドアブランド「Foxfire」のTシャツイラストも手がける。美術造形の仕事では、各地の美術館、博物館のほか、飲食施設等にも制作物が展示されている。著書に『蝸牛登山画帖』『黒部源流山小屋暮らし』(山と溪谷社)。

黒部源流山小屋暮らし

豊かな大自然、生き生きとした動物たちの姿、小屋のリアルな日常が目に浮かぶ。やまとけいこさんの名イラストエッセイ集『黒部源流山小屋暮らし』をついにヤマケイ文庫化! 記事では本書から一部抜粋して紹介。

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