熊野古道小辺路④ 天空の果無越え。十津川温泉から熊野本宮大社へ

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高野山と熊野本宮大社をつなぐ熊野古道の小辺路(こへち)。紀伊山地の険しい山岳地帯を越えるため、熊野参詣道の中で最も厳しいルートのひとつだ。これまで数回に分けて小辺路を取り上げてきたが、今回はいよいよ最後のパートとなる。「天空の郷(さと)」ともいわれる果無(はてなし)集落から果無峠を越えて、熊野本宮大社に至る区間を紹介しよう。

写真・文=児嶋弘幸、トップ写真=果無集落と世界遺産の石碑

長い旅路も終盤。いよいよ熊野本宮大社へ

二十丁石を過ぎると足場の悪い急坂となり、かたわらに三十丁石が据えられているあたりで、樹々のすき間越しに熊野川、熊野本宮大社方面の展望が開ける。

〉三十丁石付近から熊野川、熊野本宮大社方面を望む
三十丁石付近から熊野川、熊野本宮大社方面を望む。ちなみに、これら丁石は峠からの距離を示している

七色(なないろ)分岐を直進すると、なだらかな尾根道となり、やがて八木尾のバス停に降り立つ。 ここからバスに乗車し熊野本宮大社に向かうこともできるが、もうひとがんばり。ここでは熊野川沿いの旧国道を歩き、平岩口バス停の横から右の舗装道を緩やかに登っていく。

〉三里橋南付近から果無峠越えの尾根を望む
三里橋南付近から果無峠越えの尾根を望む

しばらくして中辺路(なかへち)との合流点、三軒茶屋跡・九鬼ヶ口(くきがぐち)関所跡に着く。休憩舎のかたわらには「左きみい寺三十一リ半、右かうや十七リ半」の道標石が据えられている。

熊野本宮大社へは、もう少し。なだらかな下りとなり、住宅地を抜けて、熊野本宮大社の境内へと入る。 神門をくぐると、檜皮葺(ひわだぶき)の四社殿の熊野本宮大社社殿が並んでおり、神々しい。長い道のりを経た後の参拝は、感慨深いものがあるだろう。参拝を済ませたのち、参道の石段を下って本宮大社前バス停を通り過ぎ、大斎原(おおゆのはら)へと向かう。大斎原は熊野本宮大社の旧社地で、明治22年の大洪水まで熊野本宮大社があったところだ。

後鳥羽上皇の熊野御幸に随行していた藤原定家は、困難な旅路の末、この場にたどり着いた思いを「感涙禁じがたし」と日記に書きとめている。熊野は古来より老若男女、浄不浄を問わずとして人々の信仰を集めてきた。急峻な山々を越え熊野に詣でることにより、参拝者や旅人に新たな活力を与えてくれることになるだろう。大斎原を参拝し、長く歩いてきた小辺路の旅がようやく完結となり、本宮大社前バス停まで戻る。

〉「ちょっと寄り道展望台」からの大斎原
「ちょっと寄り道展望台」からの大斎原

MAP&DATA

小辺路地図

コースタイム:十津川温泉~果無集落~果無峠~八木尾~三軒茶屋跡~熊野本宮大社本殿~大斎原~本宮大社前バス停:約7時間20分

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この記事に登場する山

奈良県 /

小辺路 標高 1,233m

熊野古道の一部である小辺路は紀伊山地の参詣道の中でも屈指の険しさで知られ、3つの1000m級の峠と、3つの渓谷を越えていく全長72kmのロングコースである。もっとも標高の高い場所は、伯母子峠(おばことうげ)で、標高約1233m。

プロフィール

児嶋弘幸(こじま・ひろゆき)

1953年和歌山県生まれ。20歳を過ぎた頃、山野の自然に魅了され、仲間と共にハイキングクラブを創立。春・夏・秋・冬のアルプスを経験後、ふるさとの山に傾注する。紀伊半島の山をライフワークとして、熊野古道・自然風景の写真撮影を行っている。 分県登山ガイド『和歌山県の山』『関西百名山地図帳』(山と溪谷社)、『山歩き安全マップ』(JTBパブリッシング)、山と高原地図『高野山・熊野古道』(昭文社)など多数あるほか、雑誌『山と溪谷』への寄稿も多い。2016年、大阪富士フォトサロンにて『悠久の熊野』写真展を開催。

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