なぜ夏の富士山で死ぬのか。過去の事例から考える
文=野村 仁、トップ写真=かぐや姫(富士山須走ルート)
2024年は富士登山遭難が多発、過去最悪ペース
富士山で夏山遭難が多発しています。7月から8月1日までで、山梨県側で3件(死亡2件2人)、静岡県側で25件(死亡4件4人)の発生でした。特に静岡県側で山開きだった10日前後(8~11日)に死亡事故が連続して発生しました。しかし、その後死亡事故は静岡県側14日、山梨県側24日の各1件のみとなっています。
このように、スタートから遭難が多かったため、富士登山はより慎重さが求められている状況です。ここでは過去の事例から夏の富士山で発生する遭難パターンを紹介し、それぞれの反省点を考えてみます。
事例1:2009年7月19日 御殿場口八・九合目 低体温症(死亡)
7月18日(土)夜、東京都の会社員22人グループが富士宮口から入山し、そのうち13人が19日午前4時ごろ登頂しました。5時50分ごろ、男性2人が頂上火口を一周する「お鉢巡り」をするため吉田口下山道方向へ出発しましたが、そのまま21日になっても連絡がとれないため、会社同僚が富士吉田署に通報しました。23日午後3時ごろ、御殿場口九合目から約100m離れた長田(おさだ)尾根で男性(30)が見つかりました。24日午前11時ごろ、御殿場口八合目の見晴館(現在は廃業)から約300m離れた場所で男性(27)が見つかりました。2人は心肺停止状態で倒れ、死亡が確認されました。
[解説]
山岳遭難史に詳しい方なら気が付くかもしれませんが、この遭難事故は有名な「トムラウシ山遭難」の3日後に起こったものです。事故の経過がトムラウシ山遭難とほとんど同じだったことに大きな衝撃を受けた事例でした。当時は低体温症の知識がまだ一般的ではなく、雪山登山の「凍死」と同じ要因により、夏山でも低体温症で遭難死亡することが、現在ほど知られていませんでした。事故当時の天候は、雨が降っていたかは不明ですが、視界が悪く体があおられるほどの強風だったそうです。遭難に至る経過は推定になりますが、2人は山頂から下り始めてまもなく、誤って御殿場口ルート側に入り込み、強風にさらされながら正しいルートを探して倒れるまで歩き続けたのでしょう。長田尾根の男性は無傷、八合目の男性は転倒したとみられる傷が複数あったそうです。
低体温症は体温が35℃以下に下がると発症し、進行すると短時間で(最悪の場合15分程度といわれます)自力回復不可能になります。そのまま保温などの措置をしないと死亡してしまいます。体温が下がる要因は、①低温、②強風、③雨・発汗などによる濡れです。富士山ではこれらの条件が常にそろっていると言っても過言ではありません。死亡にまで至らなくても、低体温症による遭難はひんぱんに発生しています。今年も7月10日と11日に高齢男性が死亡しました。正式な発表はありませんでしたが、低体温症によるものと推定しています。
事例2:2010年7月31日 山梨側本八合目 病気:心臓病(死亡)
7月31日(土)午前2時15分ごろ、吉田口本八合目付近を登山中の男性(70)が突然倒れました。山小屋関係者らが五合目まで搬送し、救急車で病院へ運ばれましたが、午前5時ごろ死亡が確認されました。死因は「心臓死」と推定されました。男性はガイド同行の富士登山ツアー(計39人)に友人4人と参加。バスで五合目に到着し、30日午後3時ごろ登山開始しました。七合目の山小屋で仮眠後、午後11時ごろに登山を再開し、標高3400mの本八合目付近で倒れました。当時の天候は曇で微風。男性に持病はなかったそうです。
[解説]
富士山では心臓病による死亡遭難事故が毎年発生しています。登山中に突然倒れて、短時間で意識不明状態になってしまいます。救助隊が到着して病院へ搬送しても手遅れとなる例が多いです。倒れる前に本人には自覚症状があるはずです。狭心症や心筋梗塞は胸の痛みが起こります。心筋梗塞は痛みが長く続くうえ、呼吸困難、息切れ、冷や汗、吐き気などの症状もあります。体の異変に敏感になり、不調なときは無理をせずに仲間やリーダー、ツアースタッフに伝えることが重要です。また、日ごろから自分の体調に気を配り、健康上の不安がない状態で富士登山に臨むことも重要です。
本事例の登山行程は、前日午後に登山開始して、山小屋で数時間の仮眠をとるものの、睡眠不足状態のまま山頂でのご来光をめざすという、非常にタイトなスケジュールです。これでは体への負担が大きいので、体調を崩す人が出てきても当然でしょう。体調管理は参加者自身の自己責任になります。無理だと感じたら登頂を断念してツアーから離脱しましょう。また、ツアーを選ぶときは登山を楽しめる内容なのかどうか、よく検討するようおすすめします。
事例3A:2014年8月9日 山梨側九合目 落石(重傷)
8月9日(土)午前3時15分ごろ、山梨側九合目付近の登山道で、斜面から落ちてきた約20cmの石が女性(28)の頭部を直撃しました。女性は頭の骨を折る重傷を負い、八合目救護所の医師が処置後、病院へ搬送されました。女性は約30人のツアーに参加していて、ガイドの判断で登山道の混雑を避けるため本八合目から下山道へ移動中でした。下山道の手前で落石に遭いました。
[解説]
富士山は崩れやすい火山礫が積み重なった地形のため、本来は落石が多く発生します。落石事故がそれほど多くないのは登山道整備などの対策が行なわれているからですが、それでも落石が発生することがありますので、上方への充分な注意が必要です。ずっと下を向いて黙々と歩いているのは危険です。落石があったとき、個々の登山者が落石を避けることでしか事故を防ぐ方法はありません。
この事例では、混雑を避けて下山道を登ろうとしたことを問題視する見方もありました。当時は下山道を登る登山者も多かったようです。しかし、登山道でも下山道でも落石のリスクはあります。最終的に落石事故を避けるのは登山者一人ひとりです。
事例3B:2019年8月26日 山梨側山頂直下 落石(死亡)
8月26日(月)午前5時10分ごろ、吉田口登山道の山頂直下で落石があり、山頂の約200m下にいたロシア人女性(29)の上半身を直撃しました。女性は運搬車で五合目に運ばれ、八合目救護所の医師により死亡が確認されました。死因は外傷性心肺損傷と発表されました。事故当時、吉田口登山道は日の出前後の登山者で混雑し、山頂から八合目まで長い列ができていました。
[解説]
富士山の落石の恐ろしさを知らされた事故でした。本来は均一な傾斜の斜面で見通しもよく、落石を避けることは難しくない地形のはずですが、身動きもままならない渋滞状況のために犠牲者が出てしまいました。事故の翌日、「自分が誤って落石を落としたかもしれない」と登山者が県警に申し出たそうです。しかし、登山者の話す内容と事故とを結び付ける証拠はなく、人為落石か自然落石かも特定されませんでした。この事故以後、大きな落石事故はしばらく起こっていません。
事例4:2013年8月12日 須走口六合目 道迷い(軽傷)
8月12日(月)午後3時40分ごろ、須走口登山道六合目付近で「足をケガして動けない人がいる」と110番通報がありました。台湾人女性2人(53・55)がそれぞれ足に靭帯損傷と捻挫のケガをしており、小型ブルドーザーで搬送されました。2人はツアーに参加して吉田口から登り、誤って須走口に下山していました。ツアー参加者は32人で、そのうち少なくとも15人が誤って下山したと話しました。
[解説]
吉田口から富士山に登ると、本八合目から上は須走口登山道と共通になります。下山も本八合目までは共通ですが、八合目付近で須走口・吉田口の分岐点を見過ごして、そのまま須走口下山道に入ってしまう登山者がけっこういるようです。本事例はツアー主催者の行程管理が不充分なために多くの参加者がルートを誤り、女性2人が負傷しているのに事故対応をした様子もありません。負傷者は放置されたままで、周囲の登山者が見かねて通報したようです。問題点の多い事例ですが、現場の登山者が人命優先を原則として対応できた点はよかったと思います。
事例5:2022年8月22日 富士宮口六・七合目 疲労(無事救出)
8月22日(月)午後5時過ぎ、「足が痛くて動けない女性がいる」と山小屋から富士宮署に通報がありました。女性はベルギー国籍の学生(31)で、夫とともに前日午後11時に御殿場口から登り始め、22日午後1時ごろ山頂に到着。下山途中に疲労のため動けなくなりました。富士宮署救助隊が担架搬送し、女性にケガはありませんでした。
[解説]
前夜発日帰りで一睡もせずに登る、現在言われている「弾丸登山」(注記参照)です。しかも、傾斜は緩いが長丁場の御殿場口ルートから登って、急傾斜で短い富士宮口ルートを下るというように少し欲張ったコースどりでした。途中で仮眠したかもしれませんが、登山口から山頂まで約14時間かかっていることからもオーバーワークだったと推定できます。富士山では疲労遭難が非常に多いですが、その原因は、①予定コースが本人の能力を超えているか、②本人の体力・技術不足のどちらか(または両方)です。きちんと登山計画を立てて充分に余裕をもたせた行程にして、もっと登山を楽しむほうがよいと思います。
(注記)
「弾丸登山」(=前夜発日帰り登山)は一概に悪いと決めつけることはできません。前夜発日帰りというスタイルは昔から普通に行なわれてきました。体力や技術のしっかりした登山者なら、富士山は前夜発日帰りで安全に登れます。問題点は、登山の準備(装備など)が不充分だったり、行程管理やリスク管理ができない登山者の側にあります。「弾丸登山」という言葉の悪いイメージが大きくなってしまい、遭難原因の本質を見失わないようにしたいものです。
プロフィール
野村仁(のむら・ひとし)
山岳ライター。1954年秋田県生まれ。雑誌『山と溪谷』で「アクシデント」のページを毎号担当。また、丹沢、奥多摩などの人気登山エリアの遭難発生地点をマップに落とし込んだ企画を手がけるなど、山岳遭難の定点観測を続けている。
山岳遭難ファイル
多発傾向が続く山岳遭難。全国の山で起きる事故をモニターし、さまざまな事例から予防・リスク回避について考えます。