なんと重厚で、なんとぜいたくな山並み。ルポ・南アルプス 北岳〜間ノ岳 1泊2日の山旅

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南アルプス最高峰にして、日本第2の高峰・北岳(きただけ)。南アルプスの山々に少なからず登ってきたが、肝心の北岳が手つかずだった。雑誌で、テレビで、写真展で、何度も見た北岳から間ノ岳(あいのだけ)への稜線。あそこに立てば、少しは南アルプスを語れるようになるのではないか。そう思い、北岳へ登る山行を計画した。

文=西村 怜(山と溪谷編集部)、写真=奥田晃司

急登を越えて、日本第2の山へ

「コイツは槍よりきついな」

キャップを後ろ被りにした初老の山男が、汗をぬぐいながら話しかけてきた。同じく汗まみれの私は、「まったくもって」と息を吐き出しながら答える。まだ樹林帯も抜けていない。さすがは日本第2の高峰・北岳、登り応えがある。

北岳 登り始めは樹林帯のなかを歩く
登り始めは樹林帯のなかを歩く

甲斐駒ヶ岳(かいこまがたけ)や仙丈ヶ岳(せんじょうがたけ)は登ったし、鳳凰三山(ほうおうさんざん)も縦走した。機会があって、深南部の大無間山(だいむげんざん)にも足を踏み入れたこともあった。しかし、肝心の北岳から光岳(てかりだけ)に連なる長大な稜線を歩いたことがなかった。南アルプスといえば、やはりあの重厚な山塊に分け入らねば、その魅力に触れたとは言い難いのではないか。

夏山の取材先を考えるときに、真っ先に北岳から見た間ノ岳の稜線が思い浮かんだ。雑誌で、テレビで、写真展で、何度も見たあの景色。あそこに立てば、少しは南アルプスを語れるようになるのではないか。そう思い、北岳へ登る山行を計画した。

広河原を出発したのは6時ごろ。澄み渡る晴天、北岳の荒々しい岩肌の凹凸までよく見えた。季節は夏真っ盛り、登り始めこそ長袖一枚羽織ってちょうどいい気温だったが、すぐにウインドシェルを脱ぐことになった。

息を切らしながら白根御池小屋(しらねおいけごや)まで登ると、北岳が再び顔を出した。手前の白根御池に青々とした木々とバットレスの険しい岩肌が映る。通り過ぎるにはあまりにももったいない、まさに絶景。小屋前のベンチに腰を下ろして一休憩する。

北岳 道はとても整備されている
道はとても整備されている・・・が、それでもきつい
白根御池では、逆さ北岳を見ることができた
白根御池では、逆さ北岳を見ることができた

池の畔には、すでにテントの設営を終えた若者がくつろいでいる。と、その若者が歓声を上げた。缶ビールを両手に掲げた別の男が、拍手で出迎えられる。まだ午前中だが、彼らは今日一日ここでのんびり過ごすようだ。それはいい。そういう過ごし方がとても似合う場所だ。我々もここでのんびりしましょうか、と同行する奥田カメラマンに提案したいところだが、そうもいかない。今日はもっと歩かねば。

地図を広げてみる。今日は、北岳肩の小屋に宿泊。明日は間ノ岳までピストンし、広河原まで降りる。朝焼けに染まる北岳を見たいのだ。

肩の小屋までは、コースタイム上で残り3時間半登る必要がある。時間に余裕はあるが、休んでいると腰がどんどん重くなる。そいや、と両手で膝を叩いて立ち上がる。

白根御池小屋の水場で、タオルを濡らして首元に巻く。青空を狙って取材に出たので仕方がないのだが、とにかく暑い。お天道様、登る間だけ雲に隠れてくれませんか。

そんな都合のいいことが起きるはずもなく、燦々と日光が照りつける。大樺沢二俣(おおかんばさわふたまた)を経由して右俣コースを登るのだが、ここが本当にきつかった。息も絶え絶えとはこのこと。地図で等高線の密度を確認していたので覚悟していたが、やはり急登のきつさは想像を超えてくる。ド迫力のバットレスの岩壁が間近に迫ってくる景色でなければ、顔を上げることもできなかったかもしれない。

北岳 右俣コース
右俣コースは、北岳バットレスを眼前にしながらの登りとなる
NEXT 最高の展望を楽しみ、北岳肩の小屋へ
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この記事に登場する山

山梨県 / 赤石山脈北部

北岳 標高 3,193m

 日本で富士山に次いで高い山は白峰の北岳である。白峰は通称白峰三山と称し、3000mを抜く山5座が、南アルプスの北部に連なっている。すなわち北岳(3192m)、中白峰(3055m)、間ノ岳(3189m)、西農鳥岳(3050m)、農鳥岳(3026m)である。  この連山の最北にある故、北岳。当を得た山名である。古くは『平家物語』に「手越を過ぎて行きければ、北に遠ざかりて、雪白き山あり。問へば甲斐の白根と云ふ」と出ているが、果たして東海道筋から見えたであろうか。時代は下がり、『甲斐国志』(文化11年―1814年編)によれば「白峰、此山本州第一ノ高山ニシテ西方ノ鎮タリ。国風ニ詠スル所ノ、甲斐ヶ根コレニシテ(中略)南北ニ連ナリテ三峰アリ。其北方最モ高キモノヲ指シテ、今専ラ白峰ト稱ス」と記している。  同書によれば、「山上ニ日ノ神ヲ祀ル。其像黄金ヲ以テ鋳ル。長七寸許、容ルニ銅室ヲ以テス。高貳尺貳寸廣方八寸、其四隅ニ鈴ヲ掛ク、風吹ケハ声アリ」と大日如来を祭ってあることを載せている。明治41年7月、この頂に立った小島烏水は「奉納大日如来寛政七年乙卯六月(1794年)」と彫られた小鉄板のあったことを記録している。となれば『甲斐国志』の記事も本当かも知れない。  明治4年、地元、芦安村の行者、名取直江が里宮、中宮、奥宮を造営して開山したという。  登山者として最初にこの頂を踏んだのはウエストンで、明治35年8月23日のことであった。積雪期の初登頂は大正14年3月22日、京都三高山岳部のメンバーで、西堀栄三郎、桑原武夫、多田政忠、四手井綱彦の4人。野呂川両俣から右俣に入り、間ノ岳を経て頂上に立った。次いで3月28日、山梨の平賀文男が広河原から第2登を飾った。  最近は交通の便がよくなり、おそらく南アルプスの山の中で、一番人気のある山ではないだろうか。登山基地の広河原まで車で入れば、1泊2日でゆっくりと往復でき、雪渓あり、お花畑あり、しかも展望絶佳ときている。  展望は南、眼前にどっかと腰をすえた間ノ岳、これに重なり合うは、塩見岳や悪沢岳。南東の櫛形山の上に富士山、東側には鳳凰三山の上に奥秩父。その左には八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳。遠く白馬三山から槍・穂高、その左にずんぐりと仙丈ヶ岳、御岳山、中央アルプスが堪能できる。  登山コースは広河原から大樺沢二俣、小太郎尾根経由で6時間、同じく二俣から八本歯のコル経由で5時間強の登りで登頂可能。

山梨県 静岡県 / 赤石山脈北部

間ノ岳 標高 3,190m

 白峰三山の真ん中に位置するので間ノ岳とは、当を得た山名である。日本第3位の高峰であるにもかかわらず、極めて地味な山だが、赤石岳、仙丈ヶ岳とともに、大きな山容を見せている。山頂は広くて、通称、間ノ岳のドームといわれるほどで、悪天のとき、方向を間違えることさえある。  一般的に、この山だけを単独に登るということはあまりない。白峰三山縦走時、あるいは仙塩尾根を経て塩見岳へと抜ける際など登頂する。  この山頂からの展望は、北岳のそれと大差がない。しかし、南側から眺めた鋭角の北岳は、さすが南アルプスの王者の風格をもって昂然として迫ってくる。  間ノ岳は『甲斐国志』にその名が載っている。登山者としては、明治14年(1881)8月18日に、アーネスト・サトウが農鳥岳経由で登頂している(出典「日本旅行日記Ⅰ」東洋文庫)。積雪期では京都三高山岳部の西堀栄三郎ら4名が、大正14年3月22日、野呂川右俣をつめて頂上に出た。北岳に登頂の途次の通過であった。  この山を踏むためのベースとなるのは、北岳のコルにある北岳山荘で、ここから中白峰を経て2時間ほどで登頂できる。 ※2014年3月までは、日本第4位の標高の山とされていたが、測量方法の変更や地殻変動などにより1m高くなることが国土地理院より発表され、2014年4月1日より奥穂高岳と並んで日本第3位の標高の山となった(2014.04.01追記)。

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