なんと重厚で、なんとぜいたくな山並み。ルポ・南アルプス 北岳〜間ノ岳 1泊2日の山旅

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朝焼けの北岳山頂

翌朝。小屋の外に出る。

老若男女、ソロ登山者からツアー登山者の団体・・・。さまざまな登山者が一様に景色を楽しんでいた。澄み渡る晴天の下、みな朝焼けに染まる山々にカメラを向けている。

北岳肩の小屋のテント場
テント場は富士山が見える最高のロケーション
朝焼けに染まる富士山を眺める登山者たち
朝焼けに染まる富士山を眺める登山者たち

肌寒く、まだ小鳥も寝静まる明け方の空気感を味わいながら、北岳に登頂する。コースタイム通り、きっかり50分。千尋さんのようにはいかないが、景色を楽しみながらではこれが最高速度だ。

山頂からは、昨日は北岳に隠されて唯一見られなかった、間ノ岳方面の稜線が見えた。山塊の大きさを誇示するように、稜線は長く深く連なっている。尾根を西に東に伸ばす姿は重厚で、なんとぜいたくなたたずまいだろう。

北岳山頂
北岳山頂にて。すばらしい晴天、すばらしい大展望
北岳を堪能した後は、いざ、間ノ岳へ
北岳を堪能した後は、いざ、間ノ岳へ

時流に合わせて変わるもの、変わらざるをえないものがある。だからこそ、数千年間変わらず鎮座する山並みを尊く感じるのだろう。どっしりと構えている南アルプスの、その不変性に人々は心動かされるのかもしれない。

そして、時代に合わせて転換しつつも、変わらずここに至らせてくれる山小屋や山岳関係者に感謝したい。

願わくば、後世の登山者がここに立ったときに、私と同じように心震える体験となりますように。そんなことを思いながら、間ノ岳へ足を踏み出した。

(山行日程=2023年8月31日〜9月1日)

間ノ岳方面から見る北岳
間ノ岳方面から見る北岳。北側から見たときとまた表情を変える
間ノ岳山頂から振り返る
間ノ岳山頂から振り返る。文句なしの山行でした

MAP&DATA

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コース

【1日目】広河原〜白根御池小屋〜小太郎尾根分岐〜北岳肩ノ小屋(参考コースタイム:6時間40分)
【2日目】北岳肩ノ小屋〜北岳〜北岳山荘〜中白峰〜間ノ岳〜中白峰〜北岳山荘〜八本歯のコル〜大樺沢二俣〜白根御池小屋〜広河原(参考コースタイム: 9時間50分)

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この記事に登場する山

山梨県 / 赤石山脈北部

北岳 標高 3,193m

 日本で富士山に次いで高い山は白峰の北岳である。白峰は通称白峰三山と称し、3000mを抜く山5座が、南アルプスの北部に連なっている。すなわち北岳(3192m)、中白峰(3055m)、間ノ岳(3189m)、西農鳥岳(3050m)、農鳥岳(3026m)である。  この連山の最北にある故、北岳。当を得た山名である。古くは『平家物語』に「手越を過ぎて行きければ、北に遠ざかりて、雪白き山あり。問へば甲斐の白根と云ふ」と出ているが、果たして東海道筋から見えたであろうか。時代は下がり、『甲斐国志』(文化11年―1814年編)によれば「白峰、此山本州第一ノ高山ニシテ西方ノ鎮タリ。国風ニ詠スル所ノ、甲斐ヶ根コレニシテ(中略)南北ニ連ナリテ三峰アリ。其北方最モ高キモノヲ指シテ、今専ラ白峰ト稱ス」と記している。  同書によれば、「山上ニ日ノ神ヲ祀ル。其像黄金ヲ以テ鋳ル。長七寸許、容ルニ銅室ヲ以テス。高貳尺貳寸廣方八寸、其四隅ニ鈴ヲ掛ク、風吹ケハ声アリ」と大日如来を祭ってあることを載せている。明治41年7月、この頂に立った小島烏水は「奉納大日如来寛政七年乙卯六月(1794年)」と彫られた小鉄板のあったことを記録している。となれば『甲斐国志』の記事も本当かも知れない。  明治4年、地元、芦安村の行者、名取直江が里宮、中宮、奥宮を造営して開山したという。  登山者として最初にこの頂を踏んだのはウエストンで、明治35年8月23日のことであった。積雪期の初登頂は大正14年3月22日、京都三高山岳部のメンバーで、西堀栄三郎、桑原武夫、多田政忠、四手井綱彦の4人。野呂川両俣から右俣に入り、間ノ岳を経て頂上に立った。次いで3月28日、山梨の平賀文男が広河原から第2登を飾った。  最近は交通の便がよくなり、おそらく南アルプスの山の中で、一番人気のある山ではないだろうか。登山基地の広河原まで車で入れば、1泊2日でゆっくりと往復でき、雪渓あり、お花畑あり、しかも展望絶佳ときている。  展望は南、眼前にどっかと腰をすえた間ノ岳、これに重なり合うは、塩見岳や悪沢岳。南東の櫛形山の上に富士山、東側には鳳凰三山の上に奥秩父。その左には八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳。遠く白馬三山から槍・穂高、その左にずんぐりと仙丈ヶ岳、御岳山、中央アルプスが堪能できる。  登山コースは広河原から大樺沢二俣、小太郎尾根経由で6時間、同じく二俣から八本歯のコル経由で5時間強の登りで登頂可能。

山梨県 静岡県 / 赤石山脈北部

間ノ岳 標高 3,190m

 白峰三山の真ん中に位置するので間ノ岳とは、当を得た山名である。日本第3位の高峰であるにもかかわらず、極めて地味な山だが、赤石岳、仙丈ヶ岳とともに、大きな山容を見せている。山頂は広くて、通称、間ノ岳のドームといわれるほどで、悪天のとき、方向を間違えることさえある。  一般的に、この山だけを単独に登るということはあまりない。白峰三山縦走時、あるいは仙塩尾根を経て塩見岳へと抜ける際など登頂する。  この山頂からの展望は、北岳のそれと大差がない。しかし、南側から眺めた鋭角の北岳は、さすが南アルプスの王者の風格をもって昂然として迫ってくる。  間ノ岳は『甲斐国志』にその名が載っている。登山者としては、明治14年(1881)8月18日に、アーネスト・サトウが農鳥岳経由で登頂している(出典「日本旅行日記Ⅰ」東洋文庫)。積雪期では京都三高山岳部の西堀栄三郎ら4名が、大正14年3月22日、野呂川右俣をつめて頂上に出た。北岳に登頂の途次の通過であった。  この山を踏むためのベースとなるのは、北岳のコルにある北岳山荘で、ここから中白峰を経て2時間ほどで登頂できる。 ※2014年3月までは、日本第4位の標高の山とされていたが、測量方法の変更や地殻変動などにより1m高くなることが国土地理院より発表され、2014年4月1日より奥穂高岳と並んで日本第3位の標高の山となった(2014.04.01追記)。

今がいい山、棚からひとつかみ

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