1月の奥多摩で行方不明になった夫。春になっても、妻は交番に情報を求めに訪ね続けた

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20年間、警視庁青梅警察署山岳救助隊を率いてきた著者が、実際に取り扱った遭難の実態と検証を綴る。安易な気持ちで奥多摩に登る登山者に警鐘を鳴らす書、ヤマケイ文庫『侮るな東京の山 新編奥多摩山岳救助隊日誌』から一部を紹介します。

文=金 邦夫

春を待ちきれなかった人

いわゆるバリエーションルートに人気が

都内S区在住の男性Kさん(63歳)が「奥多摩の山に行く」と奥さんに言い置いて、2008年1月13日午前6時に自宅を出たまま夜になっても戻らず、奥さんは翌14日午前3時に居住地であるО警察署に捜索願いを出した。О警察署は、行方不明者が携帯電話を所持していることから、電話会社に位置測定を依頼したところ、奥多摩町大沢集落に立っているアンテナが微弱電波を拾っていることが判明したといい、青梅警察署に捜索を依頼してきた。

山岳救助隊を招集し、集まった救助隊員を3個班に分けて大沢集落を中心とする山域の捜索に当たることにした。行方不明者の携帯電話の電池はすでに切れてしまっているが、大沢集落にあるアンテナの北側、蕎麦粒山から派生する鳥屋戸尾根、東側の安寺沢から平石山、本仁田山、南側の石尾根、西側の狩倉山から派生する山ノ神尾根に捜索隊を投入した。石尾根以外はいずれも登山地図に赤色実線で記載のある登山道ではなく、近ごろ人気の出てきた、いわゆるバリエーションルートだ。

私は昨年赴任したばかりの森副隊長と石尾根を狩倉山まで登り、山ノ神尾根を捜索することにした。石尾根は三ノ木戸山から上には雪が残っていた。狩倉山から山ノ神尾根を少し下ったが、雪に踏み跡はなかった。狩倉山まで登り返して六ツ石山まで行き、トオノクボ経由で水根に下山した。石尾根に転落するような場所はないし、雪には踏み跡があるから道に迷うこともないと思われる。午後4時、奥多摩交番に戻った。本仁田山と鳥屋戸尾根の2個班も帰ってきたが、なんの手掛かりも得られなかった。

翌15日は11人態勢で平石山、本仁田山、川苔山を中心に捜索した。警視庁航空隊のヘリも飛ばし、空からの捜索も行なったがやはり発見することはできなかった。

16日の朝も山岳救助隊員は奥多摩交番に集結した。行方不明者Kさんの奥さんが本人の写真を持って交番を訪れたので、Kさんのことについて話を聞くことができた。Kさんは若いときには山をやっていたが、昨年の10月、奥多摩の高水三山を登ったことで山熱が再燃し、それから毎週のように奥多摩の山を登るようになった。最近では奥多摩に別荘を買いたいと、物件を探し歩いてもいたという。

奥さんがKさんのパソコンに入っていた山のデータを引き出して持参した。それには、青梅線の電車の時刻と終点奥多摩駅から乗り継ぎのバスの時間、これまでに登った山名とコースタイム、春になったら登ろうとしている山のことなどが詳細に書かれていた。そして、これから登ろうとする山のトップに蕎麦粒山を挙げている。日原からヨコスズ尾根を一杯水避難小屋に登り、蕎麦粒山に立って、鳥屋戸尾根の笙ノ岩山を経由し川乗橋に下山するコースである。「これだ」と私は思った。大沢集落のアンテナから見て、その北側正面に位置する鳥屋戸尾根は以前は登山地図に登山道の表記がなかった。しかしいま、昭文社の最新登山地図には、赤色破線ではあるが登山道の表記が書き込まれている。ここ数年、鳥屋戸尾根を登る登山者が多くなり、道迷いや転落死亡事故なども発生している。

家族の思い、いかばかりか

山を想う気持ちは恋心に似ている。「山恋」である。私も山に熱中しだしたころは、一日として山を想わない日はなかった。山のことで頭がいっぱいになり、胸が熱くなるのである。愛しい恋人がそこにいるのに、春が来るまで会わずに待つことができようか。山熱に冒された登山者が、春が来るまで待てるはずがない。Kさんも、はやる気持ちを抑え切れず、冬の蕎麦粒山を目指したのではないだろうか。

「どうしたらいいのかわからない」というKさんの奥さんに「私たちも一生懸命捜すので、自宅に帰って待っていてください」と諭し、この日も3個班に分かれて各仕事道から蕎麦粒山に登り、迷い込みやすい笙ノ岩山下部の東側ルンゼを丹念に捜した。航空隊ヘリも午前と午後に出て、鳥屋戸尾根を空から捜索したが、やはりなんの手掛かりも得ることはできなかった。

翌日も、その翌日も救助隊員は鳥屋戸尾根に突き上げる支尾根、沢などに入り、航空隊ヘリ、警備犬などの応援も得て捜索を続けたが、Kさんを発見することはできなかった。

1月18日、Kさんが行方不明になって5日が経った。雪も降り、生存の可能性は低い。残された家族のことを考えると気の毒でならないが、このまま部隊を投入し、発見するまで捜索を続けることはできない。山岳救助隊としては屈辱的な選択ではあるが、家族の了解を得ていったん大掛かりな捜索は打ち切り、その後は人的余裕があったらそのつど救助隊を編成し、まだ見ていない場所を捜すこととした。

翌日、Kさんの奥さんが手みやげを持って捜索のお礼に交番を訪れた。慰めの言薬もないが、警察側の事情もよく説明し、これからも隊員を出せるようなときは優先して捜索に当たること、これまでにも猟師や釣り人などの情報から発見された例もあること、なにか情報が入り次第再捜索することなどを話して奥さんの了解を得た。

2月に入っても何度か雪が降った。Kさんの奥さんは、その後の情報を聞きにたびたび交番を訪れた。2月14日バレンタインデー。その日は救助隊員にチョコレートを持ってきてくれた。そして雪で白くなっている山を見て、肩を落として帰っていった。若い隊員はチョコレートを食べながら、チョコのお返しになんとかホワイトデーまでにKさんを捜し出し、奥さんのもとに帰してやりたいと話していた。

若い隊員が週休に捜索

鳥屋戸尾根に照準を絞ったKさんの大掛かりな捜索は「情報待ち」としていったん打ち切られたが、それからもたびたび山岳救助隊にその後の情報を聞きにくる奥さんがなんとも気の毒で、「なんとしても捜してやろう」と若い隊員が中心になって捜索を続けた。

5月16日、私は週休であったが、同じく週休の若手隊員がKさんを捜しにいくというので私も付き合うことにした。私以下5人で鳥屋戸尾根の岩壁帯をザイルで下降して捜し、西側に派生する道のない尾根を下る。支尾根の急斜面に引っ掛かっていた紺色のTシャツを発見し回収したが、ほかにはなにも発見できなかった。こんなに集中的に鳥屋戸尾根を捜索してきたのになんの手掛かりもない。携帯電話の測定位置をいったん度外視して、根本的に捜索方法を練り直す必要があるのかもしれないとの思いを新たにしたのだった。

5月18日午前中、Kさんの奥さんが山岳救助隊を訪ねてきたので、2日前の捜索の様子を話し、そのときに発見して持ち帰った紺色のTシャツを見てもらった。しかしKさんの持ち物ではなかった。携帯電話の測定位置に固執しないでもう少し捜索範囲を広げ、隊員を出せるときは捜してみる旨を奥さんに伝え、帰ってもらった。

NEXT 4カ月ぶりに無言の帰宅
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侮るな東京の山 新編奥多摩山岳救助隊日誌

奥多摩のリアルがここにある。 山岳救助隊を20年にわたって率いた著者が鳴らし続ける警鐘。

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