家族に場所も告げずに山に行き、行方不明になった男性。せめてメモ一枚だけでも残してくれていたら…

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20年間、警視庁青梅警察署山岳救助隊を率いてきた著者が、実際に取り扱った遭難の実態と検証を綴る。安易な気持ちで奥多摩に登る登山者に警鐘を鳴らす書、ヤマケイ文庫『侮るな東京の山 新編奥多摩山岳救助隊日誌』から一部を紹介します。

文=金 邦夫

せめて登る山を記したメモを残すべし

登った山は絞れたが

2012年10月6日の午前7時30分ごろ、都内H市在住の男性Nさん(75歳)が昨日、家人に行き先も告げず山に行き、今日になっても戻らないと奥さんが青梅警察署に捜索を依頼してきた。

本人の携帯に電話すると、呼び出しはするのだが電話には出ない。Nさんが前日開いていたパソコンをチェックしてもらうと、インターネットで棒ノ折山を見ており、埼玉県側の名栗湖から白谷沢沿いに登り、白孔雀ノ滝を見てゴンジリ峠に出て棒ノ折山へ。そして下山は黒山、岩茸石山を通り、高水山から青梅線の軍畑駅に下るコースを検索していたという。Nさんのハイキング歴は5年、本格的な登山の経験はない。当日の服装も白ポロシャツ、青ズボン、黒スニーカー、ベージュのショルダーバッグの軽装だったようだ。

Nさんの携帯電話から位置探査をしたところ、大丹波の清東園に立つ基地局が電波を拾っている。清東園を中心に北を0度として150度までの3キロ、つまり棒ノ折山から黒山、岩茸石山までの稜線から、その下を流れる大丹波川までの西側山域にいる可能性が高い。早いうちに捜し出せるのではないかとだれもが思い、当日から山岳救助隊を招集し、数班に分かれて捜索に入った。

Nさんの家人が飯能の国際興業バスに赴き調査依頼したところ、5日の午前8時18分に「河又名栗湖バス停」で下車し、名栗湖方向に向かうNさんの姿を確認したという。棒ノ折山に登ったことは間違いないようだ。

大丹波川から稜線までの斜面はどこも急だが、3時間もあれば往復できるので各班は小さな沢や尾根なども漏らさずに登り降りして捜した。しかし見つからない。捜索3日目は高水三山まで範囲を広げた。4日目は警備犬2頭も投入し、大掛かりに山の捜索を続けた。

新たな行方不明者

10月9日昼過ぎ、奥多摩交番から連絡が入った。新たに別件の未帰宅者捜索依頼が入ったという。未帰宅者は都内在住の男性Kさん(39歳)で、8日の午前3時半ごろ同居の母親に「奥多摩の山に行ってくる」と言い置き、レンタカーで自宅を出たまま今日になっても帰宅せず、携帯電話もつながらないことから、「遭難したのでは」と母親からの届け出であった。Kさんは1年ほど前から登山をはじめてすっかりはまってしまい、月に2回ほど単独や同僚とともに奥多摩へ日帰り登山に来ていたという。

その日残留している救助隊員がKさん使用のレンタカーを捜索していたところ、午前11時40分ごろ、日原の観光駐車場に駐車してあった同レンタカーを発見した。棒ノ折山のNさん捜索の人員を二つに分け、日原のKさん捜索に隊員8人が転進し、あとの5人はNさんの捜索を続行した。日原組はヨコスズ尾根、七跳尾根などを捜索し、暗くなるころ下山したが、どちらもなんの手掛かりも発見できなかった。

Kさんの携帯電話から位置探査したところ、日原渓流釣場の基地局が8日午前9時49分にヨコスズ尾根方向からの電波を受信していたことがわかった。Kさんは日原からヨコスズ尾根を天目山(三ツドッケ)に登ったのではないかと思われた。

翌10日も引き続き棒ノ折山、日原に分かれ、日原には鑑識犬2頭、警備犬2頭も投入して大掛かりな捜索は続いた。私は引き続きNさんの捜索に当たったが、やはりどちらも遭難者の手掛かりは得られなかった。

10月11日、Nさんが行方不明になって1週間が経ち、未発見のまま大掛かりな動員の捜索は打ち切られた。青梅署山岳救助隊のほとんどの隊員は、山岳救助技術を習得した奥多摩地区の駐在所員で組織されている。駐在所員は自分の受持区を持ち、そこに家族とともに居住し受持区を守っている。行方不明者が発見になるまで、いつまでも受持区を留守にするわけにはいかないのだ。警察の捜索は1週間を目安とし、あとは希望すれば捜索費用はかかるが東京都山岳連盟(都岳連)などの民間山岳救助隊を紹介している。翌日からNさんは民間の都岳連救助隊が捜索することになり、私たちの捜索した箇所を地図に記して都岳連に引き渡した。

Kさんについても三ツドッケから酉谷山あたりまで範囲を広げ、1週間目となる10月14日まで捜索を続けたが、未発見のまま警察の大掛かりな捜索を打ち切った。Kさんの家族も都岳連に捜索を依頼した。

都岳連ではNさんを11月中旬まで捜したが発見に至らず、捜索は打ち切られた。Kさんの捜索は11月いっぱい行なわれるようであるが、まだ発見したとの報せはない。

天目山周辺
天目山周辺登山道(写真= モンターニャさんの登山記録より)

雪の降る前には家族のもとへ

つくづく思うのだが、NさんもKさんもせめて登る山名とそのコースを書いたメモ一枚だけでも残してくれていたら、こんな顚末にはならなかったはずだ。遭難者本人の登った山とルートがわからなければ、家族から聞き取る本人の性格、山の経験や本人のパソコンの情報、目撃者や登山届、鉄道やバスのモニター、携帯電話の位置探査記録などいろいろな情報を頼りにこちらで推理するしかない。

奥多摩町は東京都の9分の1の面積を有し、その94パーセントが山である。そういう場所で確かな情報のほとんどない行方不明者を捜すのは、東京ドームに落とした10円玉を探し当てるようなものだ。携帯電話の位置探査は、これまでの経験からあまり当てにならない。刑事が勘を頼りに犯人を追いつめていくように、山岳救助隊も懸命に努力はしているが、それでもすべて捜し出せるとは限らない。

しかし、残された家族にとっては山岳救助隊だけが頼みの綱。なんとか捜してやりたいと、人員が出せるときには捜索に入っている。捜し出せなくては、なによりもプロの山岳救助隊を自認する我らのプライドも許せないのだ。若い隊員にもそのプライドが育ってきていて、自分の週休にも山に入って捜す者も出てきている。Nさんも、Kさんも、雪の降る前になんとか家族のもとに帰してやりたいものだ。

侮るな東京の山

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