「山小屋の仕事に向いている人は?」と尋ねると

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山を駆けた女性たちの軌跡をたどり、平成の30年間を振り返る貴重な記録。『彼女たちの山』(山と溪谷社)より一部を抜粋して紹介する。

文=柏 澄子

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山と山小屋と、両想いになった女性たち

かつて、北穂高小屋の小屋開けから小屋締めまで2シーズンを取材で通ったことがあった。当時働いていた矢崎(現早川)恵美のことを、私は「北穂と両想いになった女性」と書いた。北穂高岳と北穂高小屋が好きでたまらず、静岡県から毎週通った。従業員になったあと、つらい時期もあったけれど、彼女には北穂が好きだという強い気持ちがあったから迷いはなかった。15年働いて、同じ従業員だった男性と結婚したのちに退職する。

早川(旧姓小南)徳美は4つの山小屋を経験したのち、平成27(15)年に南アルプス・熊の平小屋にたどり着く。仙丈ヶ岳と塩見岳を結ぶ仙塩尾根の半ばに、ひっそりとたたずむ。早川は、水が豊富で緑が濃いこの場所が好きで、熊の平小屋で働きたいと思った。最初の4年間は従業員として働き、平成31(19)年に管理人になった。当初は山小屋の仕事はなんでもできるようになりたいと、力仕事も率先して働いた。けれど、管理人になってからは「周囲に助けてもらうことばかり」と言う。無理をして事故を起こしてはならない。動かせなかった燃料の入ったドラム缶は、居合わせた男性の登山者に手伝ってもらい動かした。

夕食のミネストローネは、早川の発案。野菜の味を活かし調味料は塩だけ。これは初めて働いた尾瀬の温泉小屋の影響が大きい。先代は、客に出すご飯も従業員向けの食事も塩だけで味を付けていたという話を聞いた。塩の量、振り方一つでおいしく仕上げることができる。シンプルな山小屋生活に合うし、疲れた登山者の体にもすっと入る。

早川は以前、北アルプスの焼岳小屋も手伝っていた。熊の平小屋と違って天水(雨水)に頼り、荷上げはすべてボッカだ。焼岳小屋もまた、早川が好きな場所の一つ。憧れの穂高連峰がかっこよく望めるからだ。穂高の中に入ると登山者が多い。ひっそりとしたところが好きだから、焼岳小屋からそっと眺めているという。どんな人が山小屋の仕事に向いているかと尋ねると「下界の便利さに未練がない人」と答えてくれた。

熊の平小屋(かえる隊長さんの登山記録より)

北アルプス・薬師沢小屋で働いて18年になる大和景子は、令和3(21)年から管理人を務める。大学のワンダーフォーゲル部で山を始めたころから釣りも好きだった。薬師沢小屋は大和にとって天国のような場所だ。

「山の中でも生命力のある水際が好き。山小屋にいると今日は風が気持ちいいなあとか、昨日より葉っぱが大きくなったなあとか、毎日の小さな出来事を大切に感じられるのがうれしい。人間が本来もつ『幸せだなあ』という感覚が、この不便さのなかに残っている」

大和は「性別を問わずそれぞれができることをやる。大事なのは相手に対して思いやりや尊敬の念をもつこと」だと気づいたとき、自分のなかで気持ちが落ち着いたという。

「滞りなく生活するために当たり前の状態をつくる。トイレがきれいだ、台所がきれいだ、和やかな笑顔がある。それがとても大切。小屋の中での作業が続いて外に出たくなるころに、男性スタッフが簡単な外作業に誘ってくれる。そういう互いの思いやりを感じることができるのがうれしい」

薬師沢小屋(ていくおふさんの登山記録より)

平成31(19)年まで後立山連峰の天狗山荘で4年間働いた五枚橋純子。管理人を務めた最後の1年は、ほとんど女性のスタッフだった。「100㎏以上あるドラム缶を動かすために知り合いのガイドかパトローラーの男性がやってこないかなあって思っていた」と笑う。気負いがない。釜飯の器が厨房にあるのを見つけ、〝釜プリン〞を始めて人気になり、幕の内弁当を山で食べやすいようにとおにぎりに変えたのも五枚橋だ。「山小屋の仕事は掃除と炊事」と明言するが、阿曽原温泉小屋を手伝うようになり、前述の佐々木から、山域全体の環境を考える、登山者に目を配ることも山小屋の仕事だと教わった。

 

※本記事は、『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社)を一部抜粋したものです。

 

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』

山を駆けた女性たちの軌跡をたどり、平成の30年間を振り返る貴重な記録。

平成の30年間(1989-2019)、登山の世界で女性がどのように活躍してきたか。          
代表的な人物へのインタビューを中心に、平成の登山史を振り返る。          
それぞれの人生に山がもたらしたものとは何か。

『山と溪谷』2020年4月号から12月号まで連載した内容に、再取材のうえ、大幅に加筆・修正して単行本化。


『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』          
著:柏 澄子          
価格:1870円(税込)

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プロフィール

柏 澄子(かしわ・すみこ)

登山全般、世界各地の山岳地域のことをテーマにしたフリーランスライター。クライマーなど人物インタビューや野外医療、登山医学に関する記事を多数執筆。著書に『彼女たちの山』(山と溪谷社)。 (公社)日本山岳ガイド協会認定登山ガイド。
(写真=渡辺洋一)

彼女たちの山

平成の30年間(1989-2019)、登山の世界で女性がどのように活躍してきたか。 代表的な人物へのインタビューを中心に、平成の登山史を振り返る。 それぞれの人生に山がもたらしたものとは何か。

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