親から子、先輩から後輩へ……手を差し伸べられ、繋がってきた山小屋

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山を駆けた女性たちの軌跡をたどり、平成の30年間を振り返る貴重な記録。『彼女たちの山』(山と溪谷社)より一部を抜粋して紹介する。

文=柏 澄子

第1回はこちら

尾根や谷の向こうの先達から手を差し伸べられて

穂高岳山荘三代目の今田恵。平成19(07)年から山小屋に入り、平成24(12)年に父・英雄から引き継いだ。初めて山小屋に連れていかれたのは5歳。以来、途切れることなく山小屋で過ごした。それは間違いなくいまの彼女に影響を与えている。令和2(20)年、穂高連峰では群発地震が続いたが、平成10(98)年の群発地震も今田は経験している。初めてではないというのは強い。引き継いだ年の春、大きな遭難事故があった。低体温症の登山者を山小屋に収容し、現場で対応する救助隊の後方支援をした。深刻だったけれど、いまできることはなにか、なにがベストかそれを考えるだけだったから迷いはなかった。

「父は威厳のある人。従業員たちは父と盃を交わした人たち。それを尊重し、私はコミュニケーションを大切にしながら相互理解に努める。その上で、父とは違ったタイプの経営者として山小屋を率いていきたい」。繊細な心配りのある頼もしさだ。

穂高岳山荘(Y・Tさんの登山記録より)

平成元(89)年から平成の終わりに亡くなるまで蝶ヶ岳ヒュッテの主人を務めたのは、神谷圭子 。今田は神谷のことを「場を明るくしてくれるリーダー的存在。信頼する大切な先輩だった」と言う。蝶ヶ岳ヒュッテは令和2(20)年に、長女・中村梢が引き継いだ。

山小屋で働く母の姿はほとんど知らない。娘から見る母は、自分の信じたものへ突き進む人。「コロナの影響でとんでもないデビュー戦になったけれど、周囲の山小屋にも助けられている」と話す。この先、梢は山小屋の仕事を通じて圭子の仕事ぶりを初めて知ることになるのかもしれない。梢の山小屋をつくりながら。

蝶ヶ岳ヒュッテ(VANさんの登山記録より)

前述の早川を「南アルプスの女性の若手っていったら彼女よ」と紹介してくれたのは、両俣小屋の星だ。はつらつと山を登り、働く姿に信頼を置いている。そこに星は、自身と同様の「山で生き抜く覚悟」を感じているようだ。早川もまた「両俣小屋の星さんと、農鳥小屋の深澤糾さん。お母さんとお父さんに見守られている」と先輩たちを信頼する。

船窪小屋の松澤が、わが娘のように可愛がった従業員は、中村(旧姓伊藤)しのぶだ。中村は、船窪小屋をもっと知りたいと同系列のホテルでも働いた。「みんなお母さんに話を聞いてもらいたくて、お母さんは誰の話にも耳を傾ける。その雰囲気が船窪小屋をつくり、私もそんな小屋が好きだった」と中村は言う。船窪小屋は現在、長男・宗志が引き継いでいる。

平成26(14)年の御嶽山噴火により閉鎖になっていた二の池ヒュッテを平成30(18)年に再開したのは、高岡ゆりだ。令和2(20)年に、南アルプスの果てにある光岳小屋を引き継いだのは、小宮山花。それぞれ環境は異なるが、二人とも相当な覚悟のいる立地で山小屋を運営している。

ここには紹介できないが、先達となる女性、山小屋の歴史をつくってきた女性たちも大勢いる。尾瀬・温泉小屋の星トシ子に始まり、和子、貴代子と受け継がれている。尾瀬には長蔵小屋の平野紀子もいる。立山・大日小屋の先代である杉田三江子は、夫が亡くなったあと小屋を守った。仙人池ヒュッテの志鷹静代 は「仙人のかあちゃん」と呼ばれた。北八ヶ岳・しらびそ小屋の今井幸子は、いまも息子とともに働く。黒百合ヒュッテを始めたのは現在の主人、米川岳樹の祖母つね。昭和31(56)年のことだ。親から子へ、また尾根や谷の向こうの先輩から手が差し伸べられ、女性たちはつながってきた。

 

※本記事は、『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』(山と溪谷社)を一部抜粋したものです。

 

『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』

山を駆けた女性たちの軌跡をたどり、平成の30年間を振り返る貴重な記録。

平成の30年間(1989-2019)、登山の世界で女性がどのように活躍してきたか。          
代表的な人物へのインタビューを中心に、平成の登山史を振り返る。          
それぞれの人生に山がもたらしたものとは何か。

『山と溪谷』2020年4月号から12月号まで連載した内容に、再取材のうえ、大幅に加筆・修正して単行本化。


『彼女たちの山 平成の時代、女性はどう山を登ったか』          
著:柏 澄子          
価格:1870円(税込)

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プロフィール

柏 澄子(かしわ・すみこ)

登山全般、世界各地の山岳地域のことをテーマにしたフリーランスライター。クライマーなど人物インタビューや野外医療、登山医学に関する記事を多数執筆。著書に『彼女たちの山』(山と溪谷社)。 (公社)日本山岳ガイド協会認定登山ガイド。
(写真=渡辺洋一)

彼女たちの山

平成の30年間(1989-2019)、登山の世界で女性がどのように活躍してきたか。 代表的な人物へのインタビューを中心に、平成の登山史を振り返る。 それぞれの人生に山がもたらしたものとは何か。

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