熊野古道小辺路④ 天空の果無越え。十津川温泉から熊野本宮大社へ

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高野山と熊野本宮大社をつなぐ熊野古道の小辺路(こへち)。紀伊山地の険しい山岳地帯を越えるため、熊野参詣道の中で最も厳しいルートのひとつだ。これまで数回に分けて小辺路を取り上げてきたが、今回はいよいよ最後のパートとなる。「天空の郷(さと)」ともいわれる果無(はてなし)集落から果無峠を越えて、熊野本宮大社に至る区間を紹介しよう。

写真・文=児嶋弘幸、トップ写真=果無集落と世界遺産の石碑

美しき天空の郷・果無集落へ

十津川温泉、または蕨尾(わらびお)バス停をスタートして昴の郷(すばるのさと)方面に向かい、柳本(やなぎもと)の吊橋を渡る。江戸時代の本草学者・畔田翠山(くろだすいざん)の著書『和州吉野郡群山記』に、「柳本より本宮へ五里。柳本、渡し有り」とあるところだ。

〉十津川温泉側から二津野ダム湖越しに果無集落の尾根方面を見る
十津川温泉側から二津野ダム湖越しに果無集落の尾根方面を見る。中央のやや右寄り付近が果無集落。手前に見える赤い橋は、吊橋ではない方の柳本橋
〉柳本の吊橋
柳本の吊橋

吊橋からしばらく歩き、果無峠登山口から古道に入って石畳道を一気に登る。やがて眼下に二津野ダム湖が開け、「天空の郷」と称される果無集落に着く。集落の庭先を通り抜けてしばらく進むと、世界遺産の石碑がある。振り返ると山上の果無集落と周辺に山並みが望め、すばらしい風景だ。

〉春は花々に彩られる果無集落
春は花々に彩られる果無集落

ここから車道を二度横切ると、西国三十三所の第三十番観音石像に迎えられる。観音石像は、地元の人たちが道中の安全を願い、大正11年から翌年にかけて櫟砂古(いちざこ) から八木尾(やぎお)の間に像立したものだという。

〉西国三十三所の第三十番観音石像
西国三十三所の第三十番観音石像

大正11年といえば、熊野詣が衰退し、また険しい峠越えを避けて船を利用するなど、果無峠を越える人が少なくなってきた時期である。施主の方々は、そのような状況を惜しみ、信仰の道が忘れられることがないようにと、祈願したのではないだろうか。熊野古道が再び注目される今も、観音石像は多くの登山者・旅人を見守ってくれている。

再び車道を横切ると、いよいよ果無峠に向けての登りとなる。 第二十五番観音石像を通り過ぎ、天水田跡(てんすいだあと)に着く。天水田は、山口茶屋の住人が雨水のみで稲作を行なっていたところだという。

〉天水田跡。後方の山並みは果無山脈
天水田跡。後方の山並みは果無山脈

しばらくして三体の観音石像を祭る観音堂に着く。水場が設けられているので、ひと休憩しよう。なおも高度を上げていくと、右手の眺望が大きく開ける展望地に到着する。三浦峠から行仙岳(ぎょうせんだけ)・小原峰に続く山稜をはじめ、遠くには大峰山脈の八経ヶ岳(はっきょうがたけ)から釈迦ヶ岳までの大パノラマが思いのままだ。眼下には、先ほど通ってきた果無集落も見下ろせる。

〉展望地からの展望
中央左に行仙岳、中央右に小原峰。遠くにある大峰山脈の山並みの、左が八経ヶ岳、右のとんがりが釈迦ヶ岳。やや分かりづらいが、右下に見える湖面の左にある尾根上に果無集落が見える

展望地を後に一気に高度を上げると、果無峠に登りつく。展望はないが、第十七番の観音石像が祭られ、宝篋印(ほうきょういん)塔の一部が残っている。峠でひと休憩した後、杉林の間を緩やかに下っていく。

〉果無峠。左は宝篋印塔の一部
果無峠。左は宝篋印塔の一部
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この記事に登場する山

奈良県 /

小辺路 標高 1,233m

熊野古道の一部である小辺路は紀伊山地の参詣道の中でも屈指の険しさで知られ、3つの1000m級の峠と、3つの渓谷を越えていく全長72kmのロングコースである。もっとも標高の高い場所は、伯母子峠(おばことうげ)で、標高約1233m。

プロフィール

児嶋弘幸(こじま・ひろゆき)

1953年和歌山県生まれ。20歳を過ぎた頃、山野の自然に魅了され、仲間と共にハイキングクラブを創立。春・夏・秋・冬のアルプスを経験後、ふるさとの山に傾注する。紀伊半島の山をライフワークとして、熊野古道・自然風景の写真撮影を行っている。 分県登山ガイド『和歌山県の山』『関西百名山地図帳』(山と溪谷社)、『山歩き安全マップ』(JTBパブリッシング)、山と高原地図『高野山・熊野古道』(昭文社)など多数あるほか、雑誌『山と溪谷』への寄稿も多い。2016年、大阪富士フォトサロンにて『悠久の熊野』写真展を開催。

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