ルポ・剱岳。立山ガイドと行く「日本最難」の登山道【山と溪谷2024年8月号特集より】
雑誌『山と溪谷』2024年8月号の特集は「スリルと展望の北アルプス岩稜案内」。槍・穂高(やり・ほたか)、剱岳(つるぎだけ)、後立山(うしろたてやま)の三大岩稜エリアにある、スリルと展望の岩稜ルートを掲載している。特集ページの中から、ベテランガイドと剱岳のメジャールート・別山(べっさん)尾根を登ったルポをご紹介。
文=小林千穂、写真=加戸昭太郎
岩の鎧をまとったように隙のない山容でそびえる剱岳。あまりに険しく、近代まで「登れない山」とされてきた。今は登山道が整備され、登山者の憧れの山となっている。今回は「日本最難の登山道」といわれ、登山者からの人気が高い別山尾根ルートを登る。私は今までに何度か、剱岳の山頂に立ってきた。ちょっとのミスも許されないそのルートは、緊張続き。でもそうやって山と真剣に向き合い、山頂に立つ充実感は剱岳独特で、すっかり魅了された。
その山に今回はガイドと登ることにした。安全性を高めることはもちろんだが、これまでとは違う視点で剱岳を楽しみたいと思ったのだ。この山域で活動を続ける「立山ガイド協会」に連絡すると、ベテランガイドの佐伯岩雄(さえきいわお)さんが同行してくれることになった。岩雄さんは剱岳に詳しく、話を聞くのが楽しみだ。
さて、立山ガイド協会は前身の「立山案内人組合」設立から100年以上の歴史をもつ(雑誌の特集に詳説ページあり)。岩雄さんは立山ガイドの里・芦峅寺(あしくらじ)に多い佐伯姓ではあるが、魚津(うおづ)市出身で芦峅寺の人々と血縁関係はないそう。でも、子どものころから立山や剱岳に通い、芦峅寺には幼なじみも多い。
佐伯岩雄(さえき・いわお)
山岳ガイド・スキーガイド。1963年、魚津市生まれ。幼いころから登山、山スキーに親しみ、立山ガイドだった故・佐伯友邦氏に誘われてガイドとなる。魚津市のアウトドアショップ「チロル」店長。日本山岳ガイド協会副会長。
そんな話を聞きつつ、室堂(むろどう)ターミナルから雷鳥(らいちょう)平に続く遊歩道を歩く。遊歩道とはいってもなかなかの起伏がある。くぼ地にはミクリガ池が水をたたえ、台形の立山を鏡のように映し出す。先に進んで地獄谷(じごくだに)に目をやると、ゴーッという音とともに白煙が噴き上がる。立山信仰ではこの辺りを地獄に例えてきたのが納得できる光景だ。
道は「女性が堕ちる」と信仰でいわれた血の池のすぐ脇を通る。地獄とはいえ、赤っぽい池塘と植物の緑の組み合わせが美しい。岩雄さんは池塘にある岩を指さし「あの岩の裏には梵字が刻まれている」と教えてくれた。今は入れないが、子どものころに見に行ったらしい。
雷鳥平を過ぎると本格的な登山道となり、キツい登りが始まる。斜面にはチングルマが一面に花開き、登るほどに見渡せる室堂平。目を上げると雲を浮かべる青い空。息はきれるが、景色は穏やかで夢の世界を歩いているようだ。
午後、剱沢に到着した。この日、お世話になる剱澤(つるぎさわ)小屋は名ガイドで源次郎(げんじろう)尾根に名を残す佐伯源次郎(本名源之助)氏が建てた。その後、佐伯文蔵(ぶんぞう)氏、友邦(ともくに)氏、そして現在は新平(しんぺい)さんと立山ガイドの一族が経営してきた歴史がある。建物は新しいが一室には昔の写真や書籍が並び、伝統が感じられる。
新平さんと親しくあいさつを交わすと、岩雄さんは小屋に置いてあったアルバムを手に取った。そして、中学生のときから夏はここに通っていたこと、芦峅寺の人たちとスキー合宿をしたこと、小屋を修繕するために岩を運んだことなどを話してくれた。
岩雄さんがガイドとなったのは、先代の友邦氏の影響が大きい。そのころ、友邦氏が中心となって、立山ガイド協会を結成しようという話があった。友邦氏は岩雄さんをガイドにするために自費で研修を受けさせてくれたそう。そして岩雄さんは20歳で資格を取り、立山ガイドの一員となった。岩雄さんも伝統を受け継ぐ一人だ。
さて、翌日はいよいよ別山尾根を剱岳へ向かう。剣山(けんざん)荘の上部から岩場となり、進むにつれて険しさが増す。岩雄さんは身のこなしも柔らかく、岩を越える。そして会話をしながらも常に周囲に目を光らせ、注意すべきポイントで声をかけてくれる。岩を登るときは指先、足先にまで神経を使っている。それを見て、こちらも自然と繊細な動きになる。
ガイド登山といえば、岩場では安全のため、常にロープを結ぶものだと思っていた。でも岩雄さんは前剱(まえつるぎ)を越え、平蔵(へいぞう)の頭(ずこ)を過ぎてもロープを出さない。聞くと「自信がない人はロープで確保するけれど、登れるならばロープなしのほうが断然、楽しいでしょう」と言う。私がミスをすれば岩雄さんが責任を問われる。そういうリスクを背負った上で、岩雄さんは相手に合わせ、柔軟にガイドすることを大事にしている。その姿勢を見てガイド登山は、一方的に信頼を委ねるのではなく、お互いに信頼し合って成り立つということに気付いた。
慎重に難所の数々を一緒に越え、息を合わせて登った剱岳は、今までよりずっと身近な山に感じられた。山のプロと登れること、自分の知らない山の話を聞いて世界が広がること、それこそがガイド登山の醍醐味だ。
下山途中、剱岳を正面に望む前剱の岩に腰掛けると岩雄さんが「かっこいいよな」と言った。剱岳は数え切れないほど登っても、そう思わせる山らしい。「カニのたてばい・よこばいが核心部だけど、実はこの先、前剱の下りでの事故が多いんだ。最後まで気を抜かずに行こう」。そう言って岩雄さんは立ち上がった。
(取材日=2023年7月25~27日)
Column徹底攻略「カニのたてばい・よこばい」
別山尾根は困難な岩場が続くが、登りの最難所は「カニのたてばい」、下りは「カニのよこばい」。安全通過のコツをお伝えしよう。
カニのたてばい:登り
切り立った岩場をほぼ垂直に登り、すさまじい高度感に手足がすくむ。適所に鎖や鉄杭が付けられているので、それを利用し、着実に行動しよう。
① 落ち着いてルートをよく見る
ルートをよく目視・観察し、手足の置き場となる鉄杭を見逃さないことが大事
② 片手で鎖を持ち、バランスよく
上部はかなり傾斜が強い。鎖や鉄杭だけでなく、岩の凹凸をうまく利用して登ろう
カニのよこばい:下り
鎖の付いた岩溝を下った後、足場となる岩の割れ目を伝って絶壁を横切るが、その第一歩目の足を乗せる箇所が難しい。ここで足を滑らせると致命的。
③-1 左足をペンキ印のステップへ
足がやっと置ける程度の小さな岩棚に第一歩を乗せる
③-2 左足に揃えるように右足を置く
爪先で立ち込むようにして、両足をそろえるのがコツ
③-3 安定したら左足を次のステップへ
足場は狭い上に、傾斜していて踏み外しやすいので注意
MAP&DATA
コースタイム
- 【1日目】室堂ターミナル〜ミクリガ池〜エンマ台〜雷鳥平〜別山乗越〜剱澤小屋 3時間50分
- 【2日目】剱澤小屋〜剣山荘〜一服剱〜前剱〜平蔵のコル〜剱岳(往復) 7時間10分
- 【3日目】剱澤小屋〜別山乗越〜雷鳥平〜エンマ台〜ミクリガ池〜室堂ターミナル 3時間40分
(『山と溪谷』2024年8月号より転載)
プロフィール
小林 千穂(こばやし ちほ)
山岳ライター。山好きの父の影響で子どものころに山登りをはじめ、里山歩きから雪山、海外遠征まで幅広く登山を楽しむ。山小屋従業員、山岳写真家のアシスタントを経て、フリーのライター・編集者として活動している。著者に『DVD登山ガイド穂高』(山と溪谷社)、『失敗しない山登り』(講談社)などがある。日本山岳ガイド協会認定、登山ガイド。
山と溪谷編集部
『山と溪谷』2024年9月号の特集は「決定版!全国紅葉名山100」。北海道から九州まで、各エリアの山に精通する山岳カメラマン、ライターのみなさんがおすすめする紅葉の美しい山。この秋に訪れたい100コースが一堂に会する大特集!
雑誌『山と溪谷』特集より
1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。