『日本百名山』と『日本200名山』はいかにして書かれたのか?【山と溪谷2024年1月号特集より】

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百名山も二百名山も元々は本として出版され、世に広まったものである。それぞれの本はなぜ書かれ、書き手はどんな思いを込めたのか。それを知れば、百名山・二百名山登山はより奥深くなる。『山と溪谷』2024年1月号の特集「日本百名山と日本二百名山」の解説記事を抜粋して転載する。

文=谷山宏典、写真=大童鉄平、写真提供=深田森太郎

深田クラブ『日本200名山』。深田の遺志を引き継ぎながら自分たちが登りたい山を

創立10周年記念に二百名山を選定

深田クラブが設立されたのは1974年。初代会長となる小林晃さんが『山と溪谷』の交遊欄で「深田さんのファンクラブを作りませんか」と呼びかけたのが始まりだった。

「私たちは、会山行を目的とした山岳会ではなく、会員同士の親睦や情報交換のためのカルチャークラブなんです」(事務局長・大久保博さん)

設立時の規約には「百名山の踏破」「深田久弥の人と作品研究」「多くの山に登り、その記録を残す」とともに、「先々の百名山踏破者の会員のために『追加の百名山』の選定」が掲げられた。

「二百名山を選ぶという規約を設けたのは、会員たちが百名山を完登したあとのことを考えたからです。つまり、会員のための目標作りが目的だったのです」(同)

とはいえ、深田久弥の百名山に続く、追加の100座を選定するには時間と労力、豊富な山の経験が求められ、「発足してしばらくは、会には二百名山を選ぶだけの力量がなかった」と大久保さんは振り返る。

二百名山選定の気運が高まってきたのは、クラブ創立10周年を目前にした83年のこと。10周年を記念して、二百名山の選定に本腰を入れて取り組むことが決まったのだ。

78年に日本山岳会が「日本三百名山」を発表したことも強く背中を押してくれた。

「われわれのクラブだけでは全国の山々から新たに100の名山を選ぶのは難しかったかもしれません。そこで日本山岳会の三百名山も参考にすることにしたんです」(同)

83年5月、「二百名山選定委員会」を設置。選定にあたっては、深田久弥が百名山を選ぶ際に「愛する教え子を落第させる試験官の辛さ」(『日本百名山』「後記」新潮文庫)で落とした41座を優先するとともに、当時の全会員(60名)にアンケート調査を実施した。そうして完成した一次案は地域の偏りが目立ったため、さらなる修正を行ない、最終案をまとめていった。最終案には百名山にも三百名山にも入っていない「荒沢岳」が選出されていた。

「銀山湖から仰ぐ山容がすばらしいことと、深田さんが『日本百名山』の後記で名前を挙げている山であることから、どうしても入れたいという声が上がったんです。結果として、深田クラブの独自性も出せたのでよかったと思います」

最終案は会報の創立10周年記念号(84年2月発行)に掲載し、84年11月に正式に深田クラブの二百名山として決定した。

産みの苦しみの末広く読まれる本に

二百名山の選定は「会員の目標作り」が目的だったため、当初は「本として出版することはまったく考えていなかった」と大久保さんは振り返る。しかし、クラブ内で「本として世に出せないものか」という思いが徐々に醸成され、昭文社に企画を持ち込んだことで書籍化に向けて動き出すことになった。

それからが大変だった。新たに選んだ100 座の紹介文は会報掲載用として会員で手分けをして書き進めていたが、書籍用に文字数を減らさなければならなかったし、深田久弥が選んだ百名山の紹介文も新たに自分たちで執筆しなければならなかった。また、昭文社の担当者から再三にわたる原稿のリライトの要請が送られてきて、編集委員や執筆者は大いに苦慮させられた。

当時の様子について、編集委員長を務めた会員はこう書いている。「昭文社側校閲者によって書き直しを求められた原稿が突っ返されてきた。同封された書翰の指示事項を読むと、いずれも厳しい注文だった。売物になる原稿にしてくれということだろうが、困ったことになったと思った」(会報「深田クラブ」第31号より)

産みの苦しみの末、『日本200名山』が完成したのは87年9月のこと。商業出版として成り立たせるために昭文社からさまざまな注文があったとはいえ、「会員たちのそれぞれの思いが詰まった作品になりました」と大久保さんは語る。

元々は会員の目標のために選定した二百名山は、『日本200名山』として出版されたことで多くの人の知るところとなり、「二百名山といえば深田クラブ」という確固たる地歩を築いた。「今、多くの人たちが深田先生の百名山の次の目標として、二百名山をめざしてくれている。私たちにとって、まさに望外の喜びですね」

1987年刊行の深田クラブ著『日本200名山』(昭文社)
1987年刊行の深田クラブ著『日本200名山』(昭文社)
1987年刊行の深田クラブ著『日本200名山』(昭文社)

深田クラブ

ふかたくらぶ/山を愛した作家、深田久弥の「人となり」「文学」「山への接し方」に共感するメンバーの親睦と情報交換のための会。創立は1974年。会員数は現在84名で、首都圏、近畿圏を中心に全国に広がる。

深田クラブ 会山行「みちのくシリーズ」。宮城県・大土ヶ森山頂にて
会山行「みちのくシリーズ」。宮城県・大土ヶ森山頂にて
深田クラブ 23年4月の総会山行、静岡県・満観峰山頂にて
23年4月の総会山行、静岡県・満観峰山頂にて

『山と溪谷』2024年1月号より転載)

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プロフィール

山と溪谷編集部

『山と溪谷』2024年6月号の特集は「アルプス名ルート100」。日本アルプスの名ルートを100本、編集部が厳選しました。アルプスビギナーがまずはめざしたい名ルートから、ベテランにおすすめしたい通好みのルートまでテーマ別に紹介します。北・南・中央アルプスの綴じ込みマップ付き。

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雑誌『山と溪谷』特集より

1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。

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