ルポ・燕岳。大展望の山でアルプス初体験【山と溪谷2024年6月号】
雑誌『山と溪谷』2024年6月号の特集は「アルプス名ルート100」。日本アルプスの名ルートを100本、編集部が厳選。アルプスビギナーがまずはめざしたい名ルートから、ベテランにおすすめしたい通好みのルートまでテーマ別に紹介している。特集ページから、入門ルートの燕岳(つばくろだけ)のルポを抜粋。
文=小林千穂、写真=加戸昭太郎、モデル=杉岡史万子(MONTURA)
北アルプスの山に誘いたい人がいる。アウトドアウェアを扱う大阪の企業で働く友人、杉岡史万子(すぎおかしまこ)さんだ。杉岡さんは低山ハイクが中心で日本アルプスへは行ったことがない。顔を合わせるたびに「一緒に行こう」と話しながら実現できないまま数年が経ってしまった。
この夏こそは念願の登山をしようと「燕岳へ行かない? 槍穂(やりほ)の景色を見たら絶対に感動するよ」と誘うと、「行く!」と二つ返事で応じてくれた。そして「でも私、山の景色で感動できるやろか。アラフォーになって、ちょっとやそっとのことじゃ感動しなくなった」と笑う。大丈夫。北アルプスの山の迫力はすごいから。杉岡さんも楽しんでくれるに違いない。
さて、たくさんの山があるアルプスの中でどうして燕岳を選んだかといえば、1泊2日の短い日程で行け、岩場などの危険箇所が少ないから。宿泊予定の燕山荘(えんざんそう)は設備が整っていて登山者に人気。山小屋泊が初めての杉岡さんも安心だろう。
強い日が差す7月下旬の朝、私たちは登山口に立った。これから燕山荘まで標高差約1250mを登る。「私、足を引っ張りそうや〜」と自信なさげに言う杉岡さんに、ゆっくり登ろうと伝え、歩きはじめた。
合戦尾根(かっせんおね)は上部に出るまで樹林帯の登りが続き、初心者は長く感じがち。そこで、休憩ポイントやコース上で楽しめることなどを書き込んだ手書きのマップを事前に渡した。行程をイメージしやすくする工夫だ。杉岡さんはそれを見つつ、まずは第一ベンチを目標に登っていく。
木々が日差しを遮ってくれるけれど、夏の山は暑い。第一ベンチですでに汗びっしょり。第二ベンチ、第三ベンチとポイントを過ぎることを励みに、お互いの仕事や家族のことなどを話しつつゆっくり進む。杉岡さんは「途中でバテる」と弱気だったけど、この調子なら問題なさそう。
登り始めから約3時間、シャツが絞れるほどの汗をかいて登り着いた合戦小屋。ここまでがんばったご褒美は甘いスイカ。「こんなにおいしいスイカは初めて」と杉岡さんも満面の笑みだ。この先は楽しさが詰まったコースとなる。きれいなダケカンバの灌木帯を抜け、霧がかかって幻想的な雰囲気のお花畑を横切る。
そして私たちは稜線に立つ燕山荘まで来た。ここで山の向こう側が開けるが、期待の展望はどうだろう。ちょうど私たちの到着に合わせたように、周囲を覆っていた霧がサーッと切れた。淡い青色の空をバックに、鋭い山容の槍ヶ岳(やりがたけ)が姿を現わす。遠くに鷲羽岳(わしばだけ)など北アルプス最奥部の山々も見えている。先に山小屋に到着していた人たちから「わあー!」と歓声が上がる。
ちょっとやそっとじゃ感動しないと言っていた杉岡さんは? と振り返ると「これまで登った山とは景色が全然違う。夢じゃないよね」と顔をくしゃくしゃにして大泣きしていた。急に開けたアルプスの大パノラマ。想像以上の展開と、無事に登れた安心感で感情があふれ出したようだ。
私たちはしばらく充実感に浸ったあと、山頂に向かった。そして燕岳の岩に腰掛け、一緒に山々を眺める。
「あれが槍ヶ岳でその右が笠ヶ岳(かさがたけ)。そして裏銀座(うらぎんざ)の山々。その向こうの山まで歩いて行けるよ」と話すと、杉岡さんは目を丸くした。
燕山荘に戻って夕食をいただき、夜はワインを手にゆったりとした時間を過ごした。快適な山小屋、きれいな景色。燕岳にしてよかった。
アルプスデビューした杉岡さん。下山後にこんな連絡があった。
「秋が来る前に乗鞍岳(のりくらだけ)に行こうと思っている」。
わあ、それは楽しみね。
(取材日=2023年7月31日~8月1日)
MAP&DATA
樹林帯を登りつめ花崗岩の優美な山へ
燕岳、合戦尾根のコースは険しい岩場がなく、行程も手ごろでアルプス入門としておすすめだ。急登で知られるが、ほかのアルプスのコースに比べて、ここだけが特別にきついわけではない。登山道には休憩のためのベンチが適度な間隔で設けられていて目標となるので、初心者もペース配分をしやすいだろう。途中に売店の合戦小屋があり、飲食の補給ができるのも心強い。
樹林帯を抜けて合戦沢ノ頭まで登ると周囲の展望が開け、高山植物の花が咲く気持ちのいい道となる。稜線に立つ燕山荘の前からは白い花崗岩がアクセントとなった美しい姿の燕岳が間近に眺められる。槍・穂高連峰の展望もすばらしい。
燕山荘から山頂へは往復1時間ほど。夏の初めは稜線の各所にコマクサが咲いている。花や展望を楽しみながらのんびり散策しよう。山頂は三六〇度の大パノラマで、富士山、八ヶ岳から北アルプス北部の山々まで見渡せる。
燕山荘に宿泊して朝夕の景色を楽しんだら、来た道を戻る。
【1日目】
中房・燕岳登山口(08:00)・・・第2ベンチ(09:10)・・・合戦小屋(11:00)・・・燕山荘(12:05)
【2日目】
燕山荘(07:00)・・・燕岳(07:30)・・・燕山荘(07:55)・・・合戦小屋(08:40)・・・第2ベンチ(09:50)・・・中房・燕岳登山口(10:35)
歩行時間:7時間40分
歩行距離:約9,953m/上り1,513m 下り1,513m
山と溪谷2024年6月号
特集「アルプス名ルート100」
発行 | 山と溪谷社 |
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価格 | 1,430円(税込) |
プロフィール
小林 千穂(こばやし ちほ)
山岳ライター。山好きの父の影響で子どものころに山登りをはじめ、里山歩きから雪山、海外遠征まで幅広く登山を楽しむ。山小屋従業員、山岳写真家のアシスタントを経て、フリーのライター・編集者として活動している。著者に『DVD登山ガイド穂高』(山と溪谷社)、『失敗しない山登り』(講談社)などがある。日本山岳ガイド協会認定、登山ガイド。
雑誌『山と溪谷』特集より
1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。
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