1月の奥多摩で行方不明になった夫。春になっても、妻は交番に情報を求めに訪ね続けた

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20年間、警視庁青梅警察署山岳救助隊を率いてきた著者が、実際に取り扱った遭難の実態と検証を綴る。安易な気持ちで奥多摩に登る登山者に警鐘を鳴らす書、ヤマケイ文庫『侮るな東京の山 新編奥多摩山岳救助隊日誌』から一部を紹介します。

文=金 邦夫

4カ月ぶりに無言の帰宅

Kさんの奥さんが帰ってから3時間後のことである。「海沢谷に沈んでいる遺体がある」と釣り人から110番通報があり、森副隊長以下8人が緊急出動した。「まさかKさんでは」という考えも頭をかすめたが、大沢集落のアンテナと海沢谷はまったく逆の方向である。距離も多摩川を挟んで10キロ近くも離れている。

現場は海沢谷林道を三ツ釜の滝方面に入り、井戸沢出合から100メートルほど下流であった。遺体は水深約1メートルの、淵になった川の中央部に沈んでいた。革の登山靴を履いていて衣服には青白い水苔がつき、仰向けで片足は砂の中に埋もれていた。相当に古い遺体だとわかる。私はスバリ(錨状になったカギ)を打ち込んで衣服に引っ掛け、遣体を浅瀬に寄せた。

持ち物を調べると、左腕には女性ものの丸型腕時計をはめ、ジャンパーのポケットには古い型の携帯電話が入っていた。人相はわからないが、口には部分入れ歯が見えた。ザックは捜したが見つからなかった。

Kさんだろうか。刑事課員の実況見分が終了し、遺体を納袋に入れてバスケット担架に固定する。みんなで沢の中を林道下まで搬送し、海沢谷右岸の20メートルほどの急斜面を山岳救助車のワイヤーウインチで引き上げ、林道上の車に収容して刑事課員に引き継いだ。

救助隊本部に戻り、すぐKさんの奥さんに電話を入れた。すでに奥さんは帰宅していた。あまり期待をもたせないようにしながら何点か質問した。「Kさんは行方不明になったとき、どんな時計をしていました?」「娘の時計をしていきました。革のバンドです」「携帯電話はどんな型でした?」「古い型の、折れないものです」「入れ歯はありましたか?」「総入れ歯ではありませんが、部分入れ歯はありました」。ほぼ一致している。「見つかったんですか」とはやる奥さんに、「予想していた場所とはまったく違ったところで古い遺体が見つかりました。まだなんとも言えませんので、携帯のメーカーと型式、通っていた歯医者の名前と住所がわかりましたら電話ください」と言っていったん電話を切った。

退庁時間になってもKさんの奥さんから電話はこなかった。こちらから何度かけても、呼び出し音は鳴るが応答はなかった。取るものも取りあえず電車に飛び乗って青梅警察署に向かっているのではないだろうか。

翌日、遺体は歯型などからKさんであることが確認された。何度も山岳救助隊を訪れ、早く見つけてほしいと願っていたKさんの奥さんはどんな心境であったろう。4カ月も経ってしまったいま、「元気な姿で」とは考えていなかったと思うが、いざ遺体になって帰ってきたKさんに直面し、遭難死が現実になってしまった悲しみと、見つかってよかったと思う気持ちが心の中で複雑に交錯していることだろう。

海沢谷・ネジレの滝
海沢谷・ネジレの滝(写真= 与一さんの登山記録より)

なぜ海沢谷に?

Kさんはどうして海沢谷などにいたのだろうか。奥さんの話では、Kさんは滝を見るのが好きだったという。海沢谷は美瀑の宝庫である。三ツ釜の滝、ネジレの滝、海沢大滝は「海沢三滝」として都指定の名勝であるし、海沢谷林道から直接対岸に見える井戸沢出合の滝は高さ6メートルほどの美しい直瀑である。その滝を見に谷に降りる際、誤って転落したのであろうか。そしてその下流の、釣り人もあまり足を踏み入れない瀑流帯でひっそりと4カ月ものあいだ、人目に触れることなく水に浸かっていたのだろう。

Kさんの捜索には長い時間がかかり、残念な結果に終わってしまったが、なんとか奥さんのもとに帰すことができた。

この捜索で私には、もうひとつ大きな収穫があった。若い隊員たちが自分の休みを使ってまで自主的に捜索したことである。山岳救助隊としてのプライドが育ちつつあるということだろう。

また今年も、奥多摩が一番輝く、爽やかな5月がやってきた。

侮るな東京の山

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