「逃げ上手の若君」北条時行の潜伏地、入笠山御所平をめざす「法華道」

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山頂近くまでロープウェイが延び、スズランやクリンソウ、それに絶景を手軽に楽しめる山として知られる南アルプス北端の入笠山(にゅうかさやま、1955m)。そんな山頂付近の一画に御所平(ごしょだいら)がある。南北朝時代の後醍醐天皇の皇子、宗良親王(むねよししんのう、むねながしんのう)は筆者の暮らす大鹿村を拠点としたが、ここにも隠れ住んだという。鎌倉幕府の執権職を世襲した北条家の遺児、北条時行(ほうじょうときゆき)がいたとも。歴史と伝承に彩られた入笠山のもう一つの顔を、高遠側から法華道をたどって触れてみた。

写真・文=宗像 充

目次

「逃げ上手の若君」の潜伏地

7月6日から『週刊少年ジャンプ』で連載中の漫画『逃げ上手の若君』(松井優征作)がテレビやオンライン配信で放映される。主人公の北条時行は鎌倉幕府執権職を世襲した北条家最期の得宗、北条高時の一子で、1333年に鎌倉幕府が滅ぼされた2年後、中先代(なかせんだい)の乱の頭目となり鎌倉を奪い返す。朝廷が南北に分裂すると南朝方の武将として活動。不屈の闘志で計3度鎌倉を奪還する。

その時行が隠れ住んだのが、長野県諏訪から筆者の暮らす大鹿村までの南アルプス西麓の秋葉街道沿いの山岳地帯だ。御所平はその中でも最も標高が高い。この付近から四方八方に道が延びる。中腹の金沢峠は飯田藩や高遠藩が甲州街道に出る脇往還だ。また富士川から太平洋岸からの物資を運ぶ塩の道としても知られる。

法華道(ほっけみち)は日蓮宗中興の祖とされる日朝上人(にっちょうしょうにん)が、身延山(みのぶさん)から高遠側の三峰川(みぶがわ)に注ぐ山室川(やまむろがわ)流域に伝道に通った道だ。中先代の乱の約100年前のことだ。川沿いには古刹も多く、また宗良親王や北条時行の伝承も点在する。

御所平に都からやってきた2人のプリンスが隠れ住んだにしても、1700mの高地だ。山室川上流の芝平(しびら)や荊口(ばらぐち)の人の支援がなければ一日も暮らせなかったろう。

芝平は度重なる災害などで1960年代に集団離村。しかし法華道はかつて芝平で暮らした北原厚さんの手で復興され、訪れる人はかつての人々の足跡に触れることができる(現在の登山道が法華道として証明されているわけではない)。

芝平ルートの登山口にある諏訪社
芝平ルートの登山口にある諏訪社
登山ルート手前の林道から芝平集落を見下ろす。離村した後に入った移住者が暮らす
登山ルート手前の林道から芝平集落を見下ろす。離村した後に入った移住者が暮らす
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この記事に登場する山

長野県 / 赤石山脈北部

入笠山 標高 1,955m

 富士見高原は、戦前から軽井沢に次ぐ避暑地として、大学の先生など文化人が集まった所。木ノ間、横吹、松目、原ノ茶屋など、美しい名前の集落が入笠山山麓に散在している。  入笠山は以前、スズランの山としてずいぶん宣伝されたものだが、今はスズランも減り、車道が肩の鐘打平まで登ってしまう。  車の終点、鐘打平から明るいカヤトの山を30分も登ると頂上である。南アルプス最北端の山として、広闊たる展望に恵まれている。  しかし、人くさい山よりも、静かな山を望む人は、林道を車で釜無山まで行くとよい。車道から山道への入り口に気をつけて、ササに覆われた小道を登れば、山の南半分を黒木に覆われた静かな山頂からの展望を楽しめる。  登山コースは、JR中央本線の駅から歩くと、青柳駅から4時間、富士見駅からも4時間でそれぞれ山頂へ    スキー場のゴンドラを利用したハイキングコースがメジャーとなり、夏山ではゴンドラ山頂駅から約1時間で山頂に到達できる。  また、夏だけでなく、冬にはスノーシュー入門コースとしても注目されている。

プロフィール

宗像 充(むなかた・みつる)

むなかた・みつる/ライター。1975年生まれ。高校、大学と山岳部で、沢登りから冬季クライミングまで国内各地の山を登る。登山雑誌で南アルプスを通るリニア中央新幹線の取材で訪問したのがきっかけで、縁あって長野県大鹿村に移住。田んぼをしながら執筆活動を続ける。近著に『ニホンカワウソは生きている』『絶滅してない! ぼくがまぼろしの動物を探す理由』(いずれも旬報社)、『共同親権』(社会評論社)などがある。

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