「平成」を山小屋で生きた象徴的な存在の女性たち

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山を駆けた女性たちの軌跡をたどり、平成の30年間を振り返る貴重な記録。『彼女たちの山』(山と溪谷社)より一部を抜粋して紹介する。

文=柏 澄子

船窪小屋の松澤寿子は、従業員からも登山者からも「お母さん」と呼ばれている。平成30(18)年に小屋を退くまで、船窪小屋の囲炉裏に座り、登山者をあたたかく迎えた。亡父から船窪小屋を引き継いだのは、高校を卒業したとき。昭和30(45)年のことだ。以来、地元の大町山の会の仲間などに助けられながら必死にやってきたが、いっとき子育てで山を下りていた。その間は夫の宗洋(令和3年没、享年84)が、山小屋を支えていた。寿子が山小屋に戻るきっかけは、ふとしたときにやってきた。雑誌の取材で、船窪小屋へ至る七倉尾根を歩く機会があった。秋のころ、久しぶりに小屋に上がると、紅葉がものすごくきれいだった。すっかり忘れていた光景だったが、ここが自分の居場所だと気付いた。「ここでまた、お父さん(夫)と暮らしていきたい」と、山小屋に戻る決意をした。ちょうど3人の子どもたちも手を離れ、松澤が65歳になったときのことだ。

船窪小屋(ヤッシー29さんの登山記録より)

船窪小屋では手作りの料理が並ぶ。季節の野菜の天ぷら、冬の間に水煮にしておいた山菜料理、乾物を使った煮物など。山で採れたものに手を加えた品ばかりだ。「ご馳走」という言葉があるが、松澤たちがつくる料理は、まさに自然のなかを馳はせて、走って集めたもの。その名のとおりのご馳走だ。

≫両俣小屋の星美知子が語る「覚悟」

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プロフィール

柏 澄子(かしわ・すみこ)

登山全般、世界各地の山岳地域のことをテーマにしたフリーランスライター。クライマーなど人物インタビューや野外医療、登山医学に関する記事を多数執筆。著書に『彼女たちの山』(山と溪谷社)。 (公社)日本山岳ガイド協会認定登山ガイド。
(写真=渡辺洋一)

彼女たちの山

平成の30年間(1989-2019)、登山の世界で女性がどのように活躍してきたか。 代表的な人物へのインタビューを中心に、平成の登山史を振り返る。 それぞれの人生に山がもたらしたものとは何か。

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