ルポ・ニペソツ山。幻の百名山の雄大な頂へ【山と溪谷2024年1月号特集より】

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『山と溪谷』2024年1月号の特集「日本百名山と日本二百名山」より、「幻の百名山」とも呼ばれる二百名山のニペソツ山のルポを紹介。遠い旅路の先には、登高欲をそそる雄大な頂があった。

文=辻 拓朗(山と溪谷編集部)、写真=宇佐美博之

ニペソツ山

北海道には以前から漠然とした憧れを持っていたが、まだこの地の山は登ったことがない。だから北海道の山はどこでも歓迎だが、強く引かれたのはニペソツ山だった。東大雪唯一の2000メートル峰で、鋭くそそりたった山頂部が特徴的な山。深田が『日本百名山』執筆時に登っていなかったために落選し「幻の百名山」と呼ばれている。その山容の迫力と「幻の百名山」たる山の魅力を、登って確かめるために、北海道へ向かった。

新千歳空港に着いたのは午後3時。そこからレンタカーで、途中買い出しや夕食をはさみながら5時間のドライブ。ニペソツ山の登山口、幌加(ほろか)温泉の南15㎞に位置する、糠平(ぬかびら)温泉に到着したのは午後9時半。小雨のなか露天風呂に浸かると、気分はすっかり下山後のそれだった。

翌日朝5時半に宿を出発。車を走らせること20分弱で登山口の幌加温泉に着いた。高曇りの空だが、青空も少し見えている。ニペソツ山への登路は、この幌加温泉からのコースと、尾根を1本はさんで北側にある十六(じゅうろく)ノ沢コースの2本がある。後者のほうが距離も、かかる時間も短く、深田の登ったコースでもあるが、2016 年の台風で道が崩壊し、通行止めとなっている。そのためニペソツ山まで延びる登山道は現在、幌加温泉コース1本のみだ。

登山口からは40分ほどの林道歩き。その先の登山道は、腰丈ほどのササが茂った針葉樹の森に続く。足元はぬかるんでいて、水溜まりが頻繁に出てきた。ひどいところは、腕の太さほどの木が半分沈むように渡されていて、その木をつないで突破する。木をつないで行けないところは、靴の甲あたりまで泥に浸かった。

尾根とも谷とも判別がつかない曖昧な地形の、針葉樹とササの森を行く
尾根とも谷とも判別がつかない曖昧な地形の、針葉樹とササの森を行く
樹林帯の道の前半はぬかるんでいるところが多い。細い丸太を踏んで越える
樹林帯の道の前半はぬかるんでいるところが多い。細い丸太を踏んで越える

いくつかの沢を飛び石伝いに渡り、8時頃に三条沼で一休み。湿度は高いがちょうどいい気温だ。その先で、泥の急斜面をロープに頼りながら登りきると、また平坦な森だ。道は明瞭で迷うことはない。このあたりからほとんどぬかるみもなくなった。

登山口から2時間ほどで道の脇に現われる三条沼。テニスコートほどの大きさ
登山口から2時間ほどで道の脇に現われる三条沼。テニスコートほどの大きさ
稜線に飛び出す手前の急斜面にはロープが設置されている
稜線に飛び出す手前の急斜面にはロープが設置されている

尾根が狭くなってくると、突然森を抜けて笹原になり、空が開けた。その先が展望台で、ニペソツとご対面・・・となるはずが、その鋭峰は雲の中だった。ダケカンバが多くなり日の光がよく差し込んで明るい。だいぶ高度を上げたことを実感する。1662mのコブを越えて、芝生のように低い草が茂るカール地形に入ると、上部のガレ場から「チッチッチッ」という声が聞こえた。ナキウサギだ。岩の上に現われては、岩陰に消える。近くで見ることができず、もどかしい。カールの上部で、最後の急登をロープに頼って登ると、稜線に出た。ナキウサギの声がやかましいほどに聞こえるのに、姿は見えない。稜線に出て20分ほどで前天狗の野営指定地に着くと、すでにテントが数張たてられていた。

エゾシマリス
オコジョ
ナキウサギ
今回出会った動物たち。上からエゾシマリス、オコジョ、ナキウサギ。エゾシマリスとナキウサギは北海道でしか見られない
野営指定地の前天狗は、稜線上であるため景色はいいが風が強い
野営指定地の前天狗は、稜線上であるため景色はいいが風が強い

青空が見えているが、ニペソツは雲をかぶっていて見えない。拝むのは明日でいいやと、日を浴びながら麓で買ってきた鮭とばを肴に、北海道限定缶ビール、サッポロクラシックで、カメラマンの宇佐美さんと乾杯する。しかし、すぐに雨が降ってきたのでテントに撤退し、そのまま昼寝に移った。ふと目を覚ましてテントから顔を出すと、一面ガスで真っ白。またシュラフにもぐりこんだ。

夜の12時、フライシートが風に叩かれる音で目を覚ました。このまま風に飛ばされるのではないか、と恐くなるほどにうるさい。頭まで寝袋にすっぽり入って、ひたすら目をつぶって朝を待った。

午前3時、やや寝不足気味だが気合を入れてシュラフから這い出ると、満天の星が出ていた。これは期待できる。天狗岳まで進んで、大迫力の朝日に染まるニペソツ山、〝赤ニペ〟を見るため、4時に出発。ヘッドランプをともして暗闇の中を天狗岳まで歩いた。薄暗い空、前方にニペソツの巨大なシルエット。空が徐々に深い青から茜色に染まっていくと、ニペソツの岩肌が次第にその細部を現していく。一羽の猛禽が滑空している。ひたすらに静かだ。

5時55分、ニペソツの頂に日の光が当たった。徐々に光が下へと広がり、やがてニペソツ全体が赤く染まった。みごとなモルゲンロートの余韻に浸ってから再出発。温かい日の光とヒンヤリした空気、気持ちのよい朝のなかを頂に向けて登っていった。途中に左側が切れ落ちたところがあるが、道幅は充分あるため難なく通過。山頂に出ると、西に十勝岳、北西にトムラウシ山と大雪山。北には来し方の天狗岳。その奥に石狩岳、音更(おとふけ)山と連なる稜線。南東には平らな山頂が特徴的なウペペサンケ山。さらに奥には、名前もわからない山々がどこまでも連なっている。

ニペソツ山頂から来し方を見る。天狗岳(右)から石狩岳、音更山と稜線が続く
ニペソツ山頂から来し方を見る。天狗岳(右)から石狩岳、音更山と稜線が続く
山頂から“影ニペ”と展望を楽しむ。右奥はトムラウシ山
山頂から“影ニペ”と展望を楽しむ。右奥はトムラウシ山

眺望を楽しんだ後は駆けるように下山した。登山口の幌加温泉で汗を流し、新千歳から最終便で東京へ。遠いようで、あっという間に帰ってきてしまった。翌日の仕事を理由に自分で組んだ予定だが、今思えばもったいない旅の終わり方だった。

(取材日=2023年9月2~3日)

1662mコブの手前の展望台でニペソツに別れを告げる
1662mコブの手前の展望台でニペソツに別れを告げる

コラム

幻の百名山と深田久弥

深田は晩年、『日本百名山』後に登った山で、百名山に入れたかったと思う山がいくつかあると語っている。そのひとつがニペソツ山である。深田が北海道から百名山に選んだ9座は、1958~60年の3年間に集中して登った山から選んだものである。魅力を感じていながらも、登っていなかった山も多い状態で選んだものだった。その百名山のなかに、ニペソツ山が入っていないことに納得がいかず、「登っていないから百名山に入らなかったのであれば、登っていただかなくては」と、深田をニペソツ山に招待した人物がいた。帯広エーデルワイス山岳会の滝本幸夫である。

滝本は、『日本百名山』刊行翌年の1965年、山岳会の5周年記念イベントとして、講演会の出演を依頼し、同時にニペソツ山登山に招待し、深田はそれを快諾したという。

深田は山頂直下でバテて、最後はあえぎながらの登頂だったというが、この時のことを記した紀行文で、「高く、鋭く、そして気品があった。峨々たる岩峰をつらね、その中央に一きわ高く主峰のピラミッドが立っている。豪壮で優美、天下の名峰たるに恥じない。」とニペソツ山のことを評している(『ハイカー』1967年8月号、山と溪谷社)。

その後も深田と滝本、帯広エーデルワイス山岳会の親交は続き、67年には暑寒別(しょかんべつ)岳、渡島駒(おしまこま)ヶ岳、68年には音更山、石狩岳、富良野(ふらの)岳、芦別(あしべつ)岳、大千軒(だいせんげん)岳、恵 山(えさん)と、北海道における多くの登山をともにした。なお、このうち暑寒別岳、渡島駒ヶ岳、石狩岳、芦別岳は二百名山に選出されている。(参考:『私の中の深田久弥「 日本百名山」以降の北の山紀行』滝本幸夫著、柏艪舎)

ニペソツ山にて。中央が深田(写真提供=滝本幸夫)
ニペソツ山にて。中央が深田(写真提供=滝本幸夫)

プランニングアドバイス

ニペソツ山への登路は、幌加温泉コースと深田の登った十六ノ沢コースの2つがあるが、後者は台風による崩壊で2016年から通行止めが続いている。

幌加温泉コース登山の最大のポイントは体力だ。このコースは、一般的なコースタイムでは往復に14時間ほどかかり、途中に避難小屋等の逃げ場がない。日帰りで登るには、日照時間の長い夏、暑さに負けず、暗いうちから夕方まで行動できる相当な体力がなければ厳しい。ただ、テント泊であっても簡単ではない。稜線上の前天狗が野営指定地となっており、携帯トイレブースが設置されているが、稜線上に水場はないため、テント泊装備に加えて2日分の水を担ぎ上げなくてはならない。

全体的に道は明瞭で、技術的に難しいところもないが、樹林帯のぬかるみやロープの設置された急斜面なども足に疲労がたまる。日帰りとテント泊、どちらにせよ、充分な体力をつけた上で登りたい。

稜線上の前天狗は展望がいいが、強風に注意
稜線上の前天狗は展望がいいが、強風に注意
前天狗に設置された携帯トイレブース
前天狗に設置された携帯トイレブース

ヤマタイムで周辺の地図を見る

『山と溪谷』2024年1月号より転載)

この記事に登場する山

北海道 / 石狩山地

ニペソツ山 標高 2,013m

 石狩岳が山脈の盟主の様相をなしているのに対し、ニペソツ山は孤高を誇るおもむきがある。石狩岳から見た鋭く天を指す姿は、忘れられない強烈な印象を残す。東大雪でただ1つ2000mを超す山でもある。  登山道は東面に2本ある。1つは三股(みつまた)から十六ノ沢の林道を進み、杉沢出合から尾根伝いに、小天狗、前天狗を経て頂上に至る約5時間のコース。もう1つの幌加(ほろか)温泉からの通称シャクナゲ尾根をたどって前天狗に出るもので、約7時間。前者の方が利用者が多い。頂上東面は急峻な岩壁となっており、注意が必要。石狩岳へ、またウペペサンケ方面への縦走路がないのは残念である。ニペソツと石狩岳の登山基地となる三股は、かつて木材産出地として多くの人家があり、帯広からの鉄道もあったのに、今は住人はわずか数人しかいない。  最初に現れたニペソツの登頂記録は、大正15年(1926)7月の北大隊。積雪期の記録はずっと遅れて昭和4年(1929)4月、これも北大山岳部のパーティであった。  山名は十勝川の支流ニペソツ川の上部にあるところからきており、「シナノキが多い所」の意味がある。この川の遡行も興味深いルートだ。

プロフィール

山と溪谷編集部

『山と溪谷』2024年8月号の特集は「スリルと展望の北アルプス岩稜案内」。槍・穂高、剱岳、後立山の三大岩稜エリアにある、スリルと展望の岩稜ルートを紹介します。岩稜デビュー向きのルートから高難度な縦走まで、美しい写真とわかりやすい地図をつかい詳細に解説!

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雑誌『山と溪谷』特集より

1930年創刊の登山雑誌『山と溪谷』の最新号から、秀逸な特集記事を抜粋してお届けします。

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