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信越トレイルスルーハイク③苗場山から秋山郷へ
日本にロングトレイルの概念を持ち込んだ作家・加藤則芳さんが2013年にALSで逝去して10年。プロハイカーの齋藤正史さんと加藤慧くんは、延伸された信越トレイルをスルーハイクすべく、苗場山から天水山をめざす。
文・写真=齋藤正史、トップ写真提供=信越トレイルクラブ
2日目 苗場山頂→秋山郷結東(かたくりの宿泊)約18km
8月12日、早朝、まだ寝ている慧くんを起こさないように朝日を見に行った。多くの登山客が集まっていたが、空は濃い霧に包まれていた。少しずつ登山客が山小屋に戻り始めると、その中に今井さんの姿を見つけた。
今井さんとは、今日泊まるかたくりの宿でも一緒になる予定だった。
「また、後ほど」と声を掛け、山小屋へ戻った。すでに慧くんは目を覚ましていた。ほかの登山客があわただしく出発するころ、僕たちは朝食を外のデッキで食べてから出発した。
いよいよ延伸した信越トレイルのルートに入るのだ。僕と慧くんは、多くの登山客が祓川ルートを下っていくのを横目に、信越トレイルを歩いていった。
気温が上がり、苗場山はすっかり霧が晴れていた。湿原の中の木道を進む。トレイル初日ということもあり、僕が先頭を歩いた。木道が終わると、急斜面と木々が目立つ登山道に変わった。
![苗場山の高層湿原を歩く](https://www.yamakei-online.com/new_images/yama-ya/article/2023_12/20231225_yamaya_sinetsu3-01.jpg)
七合目に差しかかるころ、ドスンと後ろで音が聞こえた。振り返ると、慧くんが転んでいた。トレッキングポールに乗ってしまったようで、1本がぽっきりと折れていた。山小屋で水が使えないほど雨が少ない状況にもかかわらず、地面はしみ出した水分で緩んでいたのだった。こんな時、ちょっとテンションが下がる。僕は、なるべくこまめに慧くんに話しかけながら、ゆっくり下った。
登ってくる登山客はさまざまだった。軽装の人もいれば、絶対に登頂は難しいだろうという足取りの人もいたが、僕たちと同じ方向へ歩くハイカーの姿はまったくなかった。
小赤沢三合目登山口駐車場に着くと、駐車場はほぼ満車状態だった。土日か思って時計を見ると、昨日が8月11日の山の日だったのだ。
辺りを見回すが、トレイルの入り口らしき場所はない。周辺を探してから地図を広げてよく見ると、トレイルの入り口に車が停まっていて見えなかったのだった。トレイルを進んでいくと、大きな木が倒れており、完全にトレイルをふさいでいた。道の形状とわずかな植物の踏み跡を見て先に進むと、先に出発した今井さんに再会した。倒木でルートがふさがっていて、ロストしてしまったそうだ。
3人で一緒に下りの道を進み、ルート上から見える「秋山郷総合センター とねんぼ」へ向かった。今井さんは水を補給しジュースだけ飲んで先に進み、僕と慧くんは昼食休憩をとることにした。
あまりの暑さに、僕は500mlのジュースを一気に2本飲み干した。休んでいると、1人の軽量装備のハイカーがやってきた。話しかけてみると、信越トレイルをスルーハイクしているハイカーで、数日前に斑尾山を出発。今日はこの集落に泊まり、明日苗場山で歩き終えるそうだった。「この区間はずっと登りで疲れました」と言っていた。
一般的に長距離のトレイルを歩く場合、ノースバウンド(北向きに歩く)のがアメリカでは一般的だ。気候の変化が少なく、比較的難易度が低いとされているのだ。信越トレイルは気候が変化するほどの距離がないので、どちらを選んでもさほど変わらないと思うが、下り基調で歩ける苗場山をスタートにする選択は、あながち間違いではないのかもしれない。
僕たちはアップダウンを繰り返し、かたくりの宿に着いた。すでに今井さんは到着していてテントを張っていた。この日、テントサイトに泊まったのは、僕たち3人だけだった。
僕の知人の鈴木さんご一家が近くを通りかかったらしく、僕たちの到着を待っていてくれた。そして、なんと冷たいコーラのトレイルマジック。つい最近までこの近くには自動販売機があったそうだが、撤去されてしまったそうだ。そのことを宿の人に聞いた鈴木さんが、車で買ってきてくれたのだった。暑さにバテそうになっていたので、最高のトレイルマジックだった。トレイルを歩いているといつも思う。なんでこんなに炭酸ジュースがうまいのだろう。
かたくりの宿ではお風呂に入れた。風呂上がりに街灯を巡っている慧くんに「なにしてるの?」と聞くと、カブトムシやクワガタがいないか探していたらしい。やっぱり都会の子なんだなと思いつつ、田舎に住んでいると、当たり前すぎて虫を探すことも考えなくなるのだなと改めて感じた。
3日目 かたくりの宿→森宮野原駅(トマトの国泊)約16km
8月13日、かたくりの宿から森宮野原駅までは、比較的短い距離のルートだ。最終日は今井さんと3人で歩くことになった。キャンプ場の裏手の山を越えると、道路歩きが続く。あまりの日差しの強さに、僕も今井さんも日傘をさす。アメリカでも、ハイカーが砂漠地帯で利用するユーロシルムの傘。それでも、アスファルトからの照り返しが半端なかった。「部活をしていると日陰なんてないから平気だよ」と、相変わらず慧くんは傘もささずに元気に歩いている。
途中、自動販売機のある商店の軒先で休ませてもらい、3人ともジュースを飲み干し、また先を進んだ。この日は37度超え。アスファルトの照り返しも加わって、実際にはそれ以上の暑さだったに違いない。
![灼熱の車道歩き](https://www.yamakei-online.com/new_images/yama-ya/article/2023_12/20231225_yamaya_sinetsu3-02.jpg)
僕と慧くんの素性は今井さんに話していなかった。僕は友人のお子さんと一緒に信越トレイルをスルーハイクするとだけ話していて、それでいいと思っていたのだが、昨日、鈴木さんご家族に素性を教えてもらったらしく、ググってなんとなく僕たちがどんな人か知ってもらっていたようだった。炎天下のトレイルをへて14時ごろに森宮野原駅に到着し、いつもより早く行動を終了した。今井さんは森宮野原駅から乗車し、新幹線に乗り替えて東京に戻り、翌日から仕事とのことだった。
里山をルートにする信越トレイルを真夏に歩くなんて、と思う人もいるかもしれないが、やはり仕事をしていると、チャレンジできるタイミングは少ないのかもしれない。現に部活をしている慧くんも、夏休みのお盆付近しか時間が取れなかった。
今井さんと別れ、今回の行程で唯一の宿、トマトの国へ向かった。信越トレイルクラブ事務局の佐藤さんにお願いして、あらかじめ準備していた後半5日分の食料と、こっそり準備したケーキを受け取った。実は、慧くんは今日誕生日を迎え、16歳になる。
慧くんに見られないように時間差でケーキを受け取り、食後にサプライズで出してもらおうとフロントでお願いした。部屋に行くと「エアコンって最高だね」と言いなが慧くんはくつろいでいた。誕生日なんだよ、とは一言も言ってなかった。
18時、夕食会場へ。フロントにいたスタッフとは違う方に案内され、席に着くと「ケーキは食後でいいですか?」・・・まさかの一言。まさかのネタバレ。誕生日ケーキはサプライズではなくなってしまったのだった。
それでも、慧くんはトレイル中にまさか誕生日ケーキが食べられるとは思っていなかったと喜んでいた。家族以外の人と過ごす初めての誕生日が僕でよかったのかな・・・と思いつつ、こうして延伸部分の信越トレイルの道のりは終わったのだった。
![ケーキはサプライズではなくなってしまったけれど、慧くんは笑顔](https://www.yamakei-online.com/new_images/yama-ya/article/2023_12/20231225_yamaya_sinetsu3-03.jpg)
MAP&DATA
参考コースタイム | 11時間15分 | 総距離 | 約31.9km |
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累積標高差 | 上り:約895m 下り:約2,750m |
この記事に登場する山
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プロフィール
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齋藤正史(さいとうまさふみ)
1973年、山形県新庄市出身。ロングトレイルハイカー。
2005年に、アパラチアン・トレイル(AT)を踏破。2012年にパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)を踏破。2013年にコンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)踏破し、ロングトレイルの「トリプルクラウン」を達成した。日本国内でロングトレイル文化の普及に努め、地元山形県にロングトレイルを整備するための活動も行なっている。
延伸した信越トレイルを歩く
2021年、関田山脈に延びるロングトレイル・信越トレイルは、天水山から苗場山までの区間が新たに設定され、合計110kmに延伸された。構想段階から信越トレイルに関わった作家の加藤則芳さんが他界して10年。プロハイカーの齋藤正史さんが加藤さんをしのびながらトレイルを歩く。