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信越トレイルスルーハイク⑤ロングトレイルの未来
日本にロングトレイルの概念を持ち込んだ作家・加藤則芳さんが2013年にALSで逝去して10年。プロハイカーの齋藤正史さんと加藤さんの息子・慧くんは、延伸された信越トレイルをスルーハイクした。歩き終えた二人と、信越トレイルに関わる人たちの思いとは。
文・写真=齋藤正史、写真提供=信越トレイルクラブ
信越トレイルを歩いてみて
歩く季節
今回、苗場山まで延伸した信越トレイルを歩いたのだが、当初作られていたトレイルは縦走路に近い形であり、延伸したルートは苗場山付近は登山道、後半は道路を歩いていく道のりとなっていた。
やはり、夏の里山は非常に暑く、歩くのに適さない印象を受けた。しかし、現実的には夏休み・お盆休みを利用して歩くことが多くなるのではと思う。 2012年に歩いた時は秋だったが、信越トレイル沿線の紅葉は非常に美しく、気温も低く、今回よりだいぶ歩きやすかった印象がある。また、6月下旬のトレイル開きのころは新緑がとても美しく、気温もさほど上がっていないので、スルーハイクするならこの季節に歩くことをおすすめしたい。
また、特におすすめしたいのがセクションハイクである。季節を変えながらセクションを歩くと四季折々の景色に出合え、飯山とその周辺の四季の味覚も楽しめる。とても贅沢な楽しみ方だと思う。
![春の信越トレイル](https://www.yamakei-online.com/new_images/yama-ya/article/2023_12/20231225_yamaya_sinetsu5-01.jpg)
![秋はブナの黄葉が美しい](https://www.yamakei-online.com/new_images/yama-ya/article/2023_12/20231225_yamaya_sinetsu5-02.jpg)
スタッフとハイカーの視点
信越トレイルクラブのスタッフ、鈴木栄治さんと佐藤由紀子さんに信越トレイルについて少しお聞きした。
鈴木さんが信越トレイルで働くようになったきっかけは、信越トレイルのイベントだった。アパラチアン・トレイルを歩いた体験を話す機会を得て、そのときに事務局から声をかけられたのだという。 「感覚的にはアパラチアン・トレイルを歩いて、そのままなにも考えずに飯山に来た感じ。アパラチアン・トレイルの先に信越トレイルがあったという感じですね。あと、アパラチアン・トレイルを歩いているときにトレイル整備に参加したことがあって、トレイルづくりには興味を持っていました」(鈴木さん)
![信越トレイルクラブスタッフの鈴木栄治さん](https://www.yamakei-online.com/new_images/yama-ya/article/2023_12/20231225_yamaya_sinetsu5-03.jpg)
佐藤さんは、アパラチアン・トレイルへ行く前に、スルーハイク後の仕事をどうするかという問題が先にあったという。信越トレイルに遊びに行く交通費ももったいないので「ゆくゆくは飯山に移住するのもありかなぁ」と考えていたそうだ。
「えり好みしなければ、わりと仕事はあると思うし、信越トレイルのガイドもできるんじゃない?」という信越トレイルクラブの前事務局長の高野さんの言葉で、戻ってきたら信越トレイルに関わることができたらいいなぁと考えながらアパラチアン・トレイルを歩いた。
トレイルを歩き終え、帰国したのち、高野さんよりオファーがあったという。同時期に「みちのく潮風トレイル」の名取トレイルセンター職員募集の情報を入手していたというが、迷った挙句、やはり同じ加藤さんの魂が入った道ならば、自分が(実際歩いて)惚れた道の近くに行きたいなと思い、信越トレイルクラブの事務局入りを決断したそうだ。
![佐藤由紀子さん](https://www.yamakei-online.com/new_images/yama-ya/article/2023_12/20231225_yamaya_sinetsu5-04.jpg)
また、ハイカーとして今回一緒に前半部分を歩いた今井麻子さんは、どんな形で信越トレイルを知り、歩くに至ったのだろうか。
「友人がロングトレイルをやってみたい!と言ったのがきっかけでした。トレイルって?それなに??から情報を収集しました。登山とはまた違う、その土地や人や風景や食に触れられることをとても魅力的に感じて、私もこれやりたい!って気持ちになりました。初めて知った日本のトレイルが信越だったので、今年中にどこかのタイミングで歩きたいと思っていました。できたらスルーハイクをしたかったんですが、休みの関係から今回はセクションハイクを選びました」
信越トレイルは、ほどよい間隔で宿泊地もあり、東京からのアクセスもわるくないので、ソロでの計画も立てやすかったそうだ。
![今井麻子さん](https://www.yamakei-online.com/new_images/yama-ya/article/2023_12/20231225_yamaya_sinetsu5-05.jpg)
信越トレイルの未来、そして日本のトレイルの未来へ
アパラチアン・トレイルでは、いろいろな人々が自発的にトレイルに関わっている。ハイカーが泊まるホステルや、トレイルエンジェルだけではない。
「トレイル周辺に住む住民の方々や、過去に歩いたハイカーたちがイベントを行なったり、歩いた経験を活かし、使いやすいマップを作ったりしているほか、最近ではトレイルを歩くためのアプリ開発なども行なっています。そういう人たちがアパラチアン・トレイルを盛り上げていて、それがトレイルカルチャーとなって根付いています。信越トレイルも、これからもっと地域のみなさんやハイカーたちがトレイルを盛り上げてくれる、そんな未来が来ることを期待しています」(鈴木さん)
「とにかく、この道は『存在し続けなければならない道』だと思います。信越エリアはもちろん、日本のロングディスタンストレイル界隈から『先進事例』としてベンチマークにされています。トライアンドエラーを繰り返しながらでも、とにかく前へ進んでいかなければならないのだと感じています。そんな責任感もありますが、やはり自分が遊ぶフィールドとして、ずっと続いていってほしい、と思っています。今後の信越トレイルとしては、雨飾山への延伸がキーとなってくると思います。それを実現するために、まずはスタッフを含めた人員体制の確立と世代交代が優先になります。また、資金繰り、登録ガイドの拡充、ボランティアや地域の人が気軽にかかわれる仕組み作りなど多くの課題があります。何年かかるかわかりませんが、日本にも、アパラチアン・トレイルで私が体験したハイキングカルチャーが根付く未来があれば」(佐藤さん)
そして、トレイルの未来を背負う世代の加藤慧くんにも、今回の信越トレイルを歩いてみてどう感じたか聞いてみた。
「トレイル自体はそこまで興味がありませんでしたが、信越トレイルは小さなころからよく耳にした言葉だったし、父が作ったトレイルということで、一度は歩いておくべきだと思っていました。歩く前は、ただ長い距離を歩いて自然を楽しむものだと思っていたのですが、マサの海外のトレイルでの人々との出会いのエピソードを聞いていると、トレイルは人の出会いの場でもあると知ることができました」
「また、歩いている時は、帰ったらなにをしようか、などと考えることもありましたが、その日の夕飯、翌朝の食事がなによりの楽しみでした。実際に歩いてみていちばんきつかったのは、1日目の水くみでした。初日で慣れていなかったこともありますが、せっかく登ってきた道を下りて、また登るというのは精神的にも肉体的にもつらかったです。いちばん思い出に残った出来事は、6日目に出くわした『クマ』です。野生のクマは、小さなころ車の中から見たことはありましたが、生身の状態のクマを至近距離で見たのは初めてで、少し怖かったのですが、よい経験ができたと思っています」
「そして、いちばん心に残った景色が、苗場山の頂上の景色です。大きく開けた景色が気持ちよくて、思わず手を広げて全身で空気を感じたいと思うほどでした」
「ゴール当日、名残惜しい気持ちになるのかなと思ったのですが、お風呂に入れる喜び、虫を気にする必要がない安堵感のほうが大きかったです。ゴールの実感がわいたのは、歩き終えた後の車の中でした。必死に荷物を持って何時間もかけて歩いた距離を、車ではそれ以上の荷物を積んで、たった数分で走ってしまったことに、文明を感じずにはいられませんでした。 今回歩いて気付いたのは、水や食事の大切さです。また、トレイルマジックがあんなにありがたいことだとは思いませんでした。今回、父がどのような考えで、信越トレイルを作ったのかを感じることができ、信越トレイルに愛着がわいてきました。次は、信越トレイルよりも長い『みちのく潮風トレイル』に挑戦してみたいと思いました」
そして、慧くんのメールの文末には、
「今回の体験は、自分一人ではできませんでした。本当にありがとうございました」
と記されていたのだった。
メールを読み終わった後、親戚のおじさんのように慧くんの成長を喜び、お父さん譲りの健脚と文章に心が躍った。きっと近いうちに、加藤さんの弟で慧くんの叔父の正芳さんと、みちのく潮風トレイルを歩く慧くんの姿を目にするだろう。そのときは僕が慧くんにトレイルマジックをしたいと思う。
![加藤慧くん、最後のピーク・斑尾山にて](https://www.yamakei-online.com/new_images/yama-ya/article/2023_12/20231225_yamaya_sinetsu5-06.jpg)
信越トレイルとアパラチアン・トレイルの絆
2023年11月、信越トレイルは、アパラチアン・トレイルと「友好トレイル協定」を締結した。加藤則芳さんが亡くなって10年目。信越トレイルは加藤さんが期待した通り、着実に日本のトレイルをリードしている。
今後、信越トレイルはどんな未来を進んでいくのだろう。
「マサ、いつか海外のハイカーが日本のトレイルを歩く姿が当たり前になる日が来るといいね」
則芳さんの言葉が現実になる未来があることを祈って。
![写真](https://www.yamakei-online.com/new_images/yama-ya/article/2023_12/20231225_yamaya_sinetsu5-07.jpg)
この記事に登場する山
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プロフィール
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齋藤正史(さいとうまさふみ)
1973年、山形県新庄市出身。ロングトレイルハイカー。
2005年に、アパラチアン・トレイル(AT)を踏破。2012年にパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)を踏破。2013年にコンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)踏破し、ロングトレイルの「トリプルクラウン」を達成した。日本国内でロングトレイル文化の普及に努め、地元山形県にロングトレイルを整備するための活動も行なっている。
延伸した信越トレイルを歩く
2021年、関田山脈に延びるロングトレイル・信越トレイルは、天水山から苗場山までの区間が新たに設定され、合計110kmに延伸された。構想段階から信越トレイルに関わった作家の加藤則芳さんが他界して10年。プロハイカーの齋藤正史さんが加藤さんをしのびながらトレイルを歩く。