信越トレイルスルーハイク⑤ロングトレイルの未来

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日本にロングトレイルの概念を持ち込んだ作家・加藤則芳さんが2013年にALSで逝去して10年。プロハイカーの齋藤正史さんと加藤さんの息子・慧くんは、延伸された信越トレイルをスルーハイクした。歩き終えた二人と、信越トレイルに関わる人たちの思いとは。

文・写真=齋藤正史、写真提供=信越トレイルクラブ

信越トレイルを歩いてみて

歩く季節

今回、苗場山まで延伸した信越トレイルを歩いたのだが、当初作られていたトレイルは縦走路に近い形であり、延伸したルートは苗場山付近は登山道、後半は道路を歩いていく道のりとなっていた。

やはり、夏の里山は非常に暑く、歩くのに適さない印象を受けた。しかし、現実的には夏休み・お盆休みを利用して歩くことが多くなるのではと思う。 2012年に歩いた時は秋だったが、信越トレイル沿線の紅葉は非常に美しく、気温も低く、今回よりだいぶ歩きやすかった印象がある。また、6月下旬のトレイル開きのころは新緑がとても美しく、気温もさほど上がっていないので、スルーハイクするならこの季節に歩くことをおすすめしたい。

また、特におすすめしたいのがセクションハイクである。季節を変えながらセクションを歩くと四季折々の景色に出合え、飯山とその周辺の四季の味覚も楽しめる。とても贅沢な楽しみ方だと思う。

春の信越トレイル
春の信越トレイル
秋はブナの黄葉が美しい
秋はブナの黄葉が美しい

スタッフとハイカーの視点

信越トレイルクラブのスタッフ、鈴木栄治さんと佐藤由紀子さんに信越トレイルについて少しお聞きした。

鈴木さんが信越トレイルで働くようになったきっかけは、信越トレイルのイベントだった。アパラチアン・トレイルを歩いた体験を話す機会を得て、そのときに事務局から声をかけられたのだという。 「感覚的にはアパラチアン・トレイルを歩いて、そのままなにも考えずに飯山に来た感じ。アパラチアン・トレイルの先に信越トレイルがあったという感じですね。あと、アパラチアン・トレイルを歩いているときにトレイル整備に参加したことがあって、トレイルづくりには興味を持っていました」(鈴木さん)

信越トレイルクラブスタッフの鈴木栄治さん
信越トレイルクラブスタッフの鈴木栄治さん

佐藤さんは、アパラチアン・トレイルへ行く前に、スルーハイク後の仕事をどうするかという問題が先にあったという。信越トレイルに遊びに行く交通費ももったいないので「ゆくゆくは飯山に移住するのもありかなぁ」と考えていたそうだ。

「えり好みしなければ、わりと仕事はあると思うし、信越トレイルのガイドもできるんじゃない?」という信越トレイルクラブの前事務局長の高野さんの言葉で、戻ってきたら信越トレイルに関わることができたらいいなぁと考えながらアパラチアン・トレイルを歩いた。

トレイルを歩き終え、帰国したのち、高野さんよりオファーがあったという。同時期に「みちのく潮風トレイル」の名取トレイルセンター職員募集の情報を入手していたというが、迷った挙句、やはり同じ加藤さんの魂が入った道ならば、自分が(実際歩いて)惚れた道の近くに行きたいなと思い、信越トレイルクラブの事務局入りを決断したそうだ。

佐藤由紀子さん
佐藤由紀子さん

また、ハイカーとして今回一緒に前半部分を歩いた今井麻子さんは、どんな形で信越トレイルを知り、歩くに至ったのだろうか。

「友人がロングトレイルをやってみたい!と言ったのがきっかけでした。トレイルって?それなに??から情報を収集しました。登山とはまた違う、その土地や人や風景や食に触れられることをとても魅力的に感じて、私もこれやりたい!って気持ちになりました。初めて知った日本のトレイルが信越だったので、今年中にどこかのタイミングで歩きたいと思っていました。できたらスルーハイクをしたかったんですが、休みの関係から今回はセクションハイクを選びました」

信越トレイルは、ほどよい間隔で宿泊地もあり、東京からのアクセスもわるくないので、ソロでの計画も立てやすかったそうだ。

今井麻子さん
今井麻子さん

信越トレイルの未来、そして日本のトレイルの未来へ

アパラチアン・トレイルでは、いろいろな人々が自発的にトレイルに関わっている。ハイカーが泊まるホステルや、トレイルエンジェルだけではない。
「トレイル周辺に住む住民の方々や、過去に歩いたハイカーたちがイベントを行なったり、歩いた経験を活かし、使いやすいマップを作ったりしているほか、最近ではトレイルを歩くためのアプリ開発なども行なっています。そういう人たちがアパラチアン・トレイルを盛り上げていて、それがトレイルカルチャーとなって根付いています。信越トレイルも、これからもっと地域のみなさんやハイカーたちがトレイルを盛り上げてくれる、そんな未来が来ることを期待しています」(鈴木さん)

「とにかく、この道は『存在し続けなければならない道』だと思います。信越エリアはもちろん、日本のロングディスタンストレイル界隈から『先進事例』としてベンチマークにされています。トライアンドエラーを繰り返しながらでも、とにかく前へ進んでいかなければならないのだと感じています。そんな責任感もありますが、やはり自分が遊ぶフィールドとして、ずっと続いていってほしい、と思っています。今後の信越トレイルとしては、雨飾山への延伸がキーとなってくると思います。それを実現するために、まずはスタッフを含めた人員体制の確立と世代交代が優先になります。また、資金繰り、登録ガイドの拡充、ボランティアや地域の人が気軽にかかわれる仕組み作りなど多くの課題があります。何年かかるかわかりませんが、日本にも、アパラチアン・トレイルで私が体験したハイキングカルチャーが根付く未来があれば」(佐藤さん)

そして、トレイルの未来を背負う世代の加藤慧くんにも、今回の信越トレイルを歩いてみてどう感じたか聞いてみた。

「トレイル自体はそこまで興味がありませんでしたが、信越トレイルは小さなころからよく耳にした言葉だったし、父が作ったトレイルということで、一度は歩いておくべきだと思っていました。歩く前は、ただ長い距離を歩いて自然を楽しむものだと思っていたのですが、マサの海外のトレイルでの人々との出会いのエピソードを聞いていると、トレイルは人の出会いの場でもあると知ることができました」

「また、歩いている時は、帰ったらなにをしようか、などと考えることもありましたが、その日の夕飯、翌朝の食事がなによりの楽しみでした。実際に歩いてみていちばんきつかったのは、1日目の水くみでした。初日で慣れていなかったこともありますが、せっかく登ってきた道を下りて、また登るというのは精神的にも肉体的にもつらかったです。いちばん思い出に残った出来事は、6日目に出くわした『クマ』です。野生のクマは、小さなころ車の中から見たことはありましたが、生身の状態のクマを至近距離で見たのは初めてで、少し怖かったのですが、よい経験ができたと思っています」

「そして、いちばん心に残った景色が、苗場山の頂上の景色です。大きく開けた景色が気持ちよくて、思わず手を広げて全身で空気を感じたいと思うほどでした」

「ゴール当日、名残惜しい気持ちになるのかなと思ったのですが、お風呂に入れる喜び、虫を気にする必要がない安堵感のほうが大きかったです。ゴールの実感がわいたのは、歩き終えた後の車の中でした。必死に荷物を持って何時間もかけて歩いた距離を、車ではそれ以上の荷物を積んで、たった数分で走ってしまったことに、文明を感じずにはいられませんでした。 今回歩いて気付いたのは、水や食事の大切さです。また、トレイルマジックがあんなにありがたいことだとは思いませんでした。今回、父がどのような考えで、信越トレイルを作ったのかを感じることができ、信越トレイルに愛着がわいてきました。次は、信越トレイルよりも長い『みちのく潮風トレイル』に挑戦してみたいと思いました」

そして、慧くんのメールの文末には、
「今回の体験は、自分一人ではできませんでした。本当にありがとうございました」
と記されていたのだった。

メールを読み終わった後、親戚のおじさんのように慧くんの成長を喜び、お父さん譲りの健脚と文章に心が躍った。きっと近いうちに、加藤さんの弟で慧くんの叔父の正芳さんと、みちのく潮風トレイルを歩く慧くんの姿を目にするだろう。そのときは僕が慧くんにトレイルマジックをしたいと思う。

加藤慧くん、最後のピーク・斑尾山にて
加藤慧くん、最後のピーク・斑尾山にて

信越トレイルとアパラチアン・トレイルの絆

2023年11月、信越トレイルは、アパラチアン・トレイルと「友好トレイル協定」を締結した。加藤則芳さんが亡くなって10年目。信越トレイルは加藤さんが期待した通り、着実に日本のトレイルをリードしている。 今後、信越トレイルはどんな未来を進んでいくのだろう。
「マサ、いつか海外のハイカーが日本のトレイルを歩く姿が当たり前になる日が来るといいね」
則芳さんの言葉が現実になる未来があることを祈って。

写真

この記事に登場する山

新潟県 長野県 / 苗場山・白根山・浅間山

苗場山 標高 2,145m

上信越高原国立公園内にある山で、第4紀火山の安山岩類からなり、頂上部は多くの池塘を光らせた4km四方に及ぶ高層湿原を展開しており、その景観と特異な山容から、越後の名山として注目され、県内外の登山者に親しまれている。 頂上には保食神の青銅像や伊米神祠、苗場七柱大神などの石塔があり、昔から延喜式内伊米神社の奥ノ院として、農民や修験の登拝があったらしい。 文化8年に塩沢町の鈴木牧之(ぼくし)が、案内や従者ら12名を伴って登山し「苗場山は越後第一の高山なり、魚沼郡にあり登り二里という。絶頂に天然の苗田あり、依て昔より山の名に呼ぶなり、峻岳の巓に苗田ある事甚だ奇なり」と、その著『北越雪譜』に苗場山紀行を載せている。 登山道は上越新幹線の越後湯沢駅から清津川を渡り、和田小屋、神楽ガ峰を経由する三俣コースや、三国峠に近い元橋からの赤湯温泉コース、飯山線の津南町から中津川を遡った秋山郷の金城山・小松原コース、小赤沢コースなどがあって、それぞれに苗場山の多様な側面を見せているが、交通、宿泊の便がよくて登山者に好まれているのは三俣コースで、マイカーを利用すれば、スキーシーズン以外は、和田小屋の徒歩20分手前の町営駐車場まで入ることができる。 かつてはブナの原生林をたどった登山道は、スキー場造成の伐開やリフト架設で昔の面影を失ったが、自然保護のため木道が敷かれて登山者に喜ばれている。 登山の対象としてよりもスキー場が有名で、苗場山を巡って民宿150軒、スキー場17カ所もの施設があり、ゲレンデに林立するスキーリフト群が山相を一変させた観がある。 一等三角点の頂上には、苗場山頂ヒュッテがあり、天然の苗田と見られた池塘群には、ワタスゲ、ヌマガヤに混じってヤマトキソウ、キンコウカ、ヒメシャクナゲなどの湿原植物が多彩で、その間にコメツガなどの低い針葉樹林が点在しており、木道に導かれた山上庭園の散歩が楽しい。もちろん上信越の山々をはじめとする展望も申し分ない。 三俣口8合目の神楽ヶ峰には、鈴木牧之の苗場登山を顕彰して、昭和15年に我が国登山界の元老である高頭仁兵衛氏らが、高さ3mの「天下之霊観」碑を建立したが、落雷か積雪の圧力かで折損放置されていたのを、平成3年に日本山岳会越後支部が、原型と同じ仙台石で霊観碑を再建している。 和田小屋からや約4時間30分で山頂に立つことができる。

新潟県 長野県 /

鍋倉山 標高 1,289m

新潟県と長野県の県境をなしている関田山脈にある山。北西に隣接する黒倉山とは、双耳峰だとする人もいるが、総称する名前はないので、別の山としている。 周囲は豪雪地としても名高く、豊かなブナの森に覆われている。山頂には二等三角点の標石と小さな祠がある。展望は木々に囲まれあまりよくないが、南側に少し下ると切り開きがあり、信州の山々と眼下に千曲川を見ることができる。

長野県 / 東頸城丘陵

斑尾山 標高 1,382m

 「北信五岳」と信州北部の人たちに親しまれている斑尾山、妙高山、黒姫山、戸隠山、飯縄山の5つの山々。ほかの4山が1917mから2450mもあるのに、この斑尾山だけは1400mたらずで、1つだけ低い。しかし、志賀高原や野沢からの帰り、茜さす山々を西空に眺めるとき、大きさからいっても、高さからいっても、決してひけをとらずに、堂々として目に映る。  斑尾山は冬はスキー場としてにぎわう。飯山側からは斑尾高原スキー場が、北西側からはタングラムスキー場が広がっている。  登路は荒瀬原から尾根道を、野尻湖を左手に見ながら登るのが楽しい。頂上の手前にある大明神岳が最も眺めがよい。山頂はそこからわずかである。一等三角点がブナの林の中に静かに座っている。帰りは斑尾高原側から万坂峠を経て古海へ降りられる。  下荒瀬から2時間30分で山頂へ。  現在では、森林セラピーのためのトレイルも整備されている。

プロフィール

齋藤正史(さいとうまさふみ)

1973年、山形県新庄市出身。ロングトレイルハイカー。
2005年に、アパラチアン・トレイル(AT)を踏破。2012年にパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)を踏破。2013年にコンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)踏破し、ロングトレイルの「トリプルクラウン」を達成した。日本国内でロングトレイル文化の普及に努め、地元山形県にロングトレイルを整備するための活動も行なっている。

延伸した信越トレイルを歩く

2021年、関田山脈に延びるロングトレイル・信越トレイルは、天水山から苗場山までの区間が新たに設定され、合計110kmに延伸された。構想段階から信越トレイルに関わった作家の加藤則芳さんが他界して10年。プロハイカーの齋藤正史さんが加藤さんをしのびながらトレイルを歩く。

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