信越トレイルスルーハイク④天水山から斑尾山へ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

日本にロングトレイルの概念を持ち込んだ作家・加藤則芳さんが2013年にALSで逝去して10年。プロハイカーの齋藤正史さんと加藤慧くんは、延伸された信越トレイルをスルーハイクする旅に出た。トレイルはいよいよ関田山脈へと入る。

文・写真=齋藤正史

4日目 森宮野原駅→野々海峠(野々海高原テントサイト泊)約13km

8月14日、トマトの国でゆっくり朝食を食べてから出発したが、すでに気温がぐんぐん上昇していた。森宮野原駅から天水(あまみず)山までは700mの一気登りだ。ピックアップした5日分の食料がずっしりとのしかかる。 あまりの暑さに、日陰のある水路を見つけると荷物を置き、ブーツを脱いで足を入れた。 一気に体が冷えた気がした。再び照り返しの強いアスファルトの道を登る。何度も休憩を取りながら、ようやく天水山に着いたのだった。天水山まで登っても、小刻みなアップダウンが続いていた。暑さの影響もあったと思う。キャンプ場にようやくたどり着いたのは15時30分。暑さのせいか想像以上に体力を消耗していた。

天水山の森を行く
天水山の森を行く

5日目 深坂峠→関田峠(光ケ原高原テントサイト泊)約18km

8月15日、距離が長いので、朝早くに出発したが、この日もすでに暑かった。気温は早朝の時点でぐんぐん上昇していった。アブやブヨも大量に発生している。

さらに気温は上がっていき、喉の渇きと共に、足を止めて水分を補給する回数も増えていく。少し多めにと持ったはずの3Lの水だったが、10時にはすでに半分の1.5Lほど消費していた。

しばらく下を向いて歩いていると
「遅いよ、ここまで来ちゃったよ」
という声が聞こえてきた。深沢峠で待ちわびた写真家の星野秀樹さんが、たくさんの食料を背負ってきてくれたのだった。なんとすてきなトレイルマジックなんでしょう! 星野さんのバックパックからは、鍋倉山麓のご自宅で採れた小玉のスイカやきゅうりの漬物、とうもろこしなど、暑さに参っていた僕たちの胃袋が欲しがるものばかりが入っていた。僕と慧くんは一気に食べつくした。スイカの皮をここまで薄く食べたのは初めてかもしれない。これほどうれしいトレイルマジックはなかった。

食べ終わり、深沢峠をめざし歩き始めると、
「懐かしい、僕が見慣れたバックパックだね!」
と慧くんの後ろを歩く星野さんが言った。

3人で歩き始めると、加藤則芳さんの話が一気に増えていった。花立山山頂には加藤さんをしのぶケルンがある。僕たちはここで休憩した。きっと加藤さんも喜んでいるだろう。星野さんもそう思っていたに違いない。

星野さんがスイカを差し入れてくれた
星野さんがスイカを差し入れてくれた

星野さんと別れてキャンプ場に着くと、この日、台風が接近しているため、バンガロー一棟が避難用にハイカーに提供されていた。しかし、まだまだ気温が高く、閉め切られているバンガローはとても泊まれる状態ではなかった。

夜中に台風が通過する事を考え、炊飯棟にビバークすることにした。幸い、キャンパーの姿はほとんどなかった。

6日目 関田峠→桂池(桂池テントサイト泊)約14km

8月16日、夜中に突風が吹き、たたきつけるような雨音が聞こえた。慧くんはあまりよく眠れなかった様子だった。この日はトレイルの中でも楽な行程。そんなこともあり、テレビユー山形の取材を受けることにしていた。関田峠で合流し、仏ヶ峰登山口まで取材は続いた。歩きながら時折足を止めて話す感じで取材は行われた。昨日に引き続き加藤さんの話が多く出る。

慧くんのインタビューなどもあり、僕が聞きにくい、加藤さんについての質問も聞こえてきた。慧くんの回答を聞きつつ、いまの慧くんの心境を少し垣間見られた気がした。午前中は台風の影響で風が吹いていて、昨日の暑さがうそのようだった。午後に入り、再び2人で歩き出すと、急に気温がぐんぐん上がり始めた。結構急なアップダウンを繰り返し、桂池の入り口に着いた。そこで信越トレイル整備スタッフの木下(きした)さんが待っていてくれたのだった。

取材があり、途中うまく合流できなかったが、こうしてお会いできてよかった。桂池キャンプ場に着くと、星野さんと慧くんの母・加藤奈美さん、星野さんのお子さんたちが待っていてくれた。

木下さんからのトレイルマジック、星野さん、奈美さんからのトレイルマジックで僕と慧くんは生き返った。そしてありがたいことに、信越トレイル整備スタッフの山川さんが前日にキャンプサイトの草を刈ってくださり、トイレも掃除していてくれたのだった。こうして整備する方々のおかげでいるから僕たちハイカーは安全に楽しく歩けるのだ。心より感謝申し上げたい。

テレビユー山形の取材スタッフのみなさんと
テレビユー山形の取材スタッフのみなさんと

7日目 桂池→赤池(赤池テントサイト泊)約21km

8月17日、赤池までの道のりは、今回のスルーハイクで一番長い道のりになる。涼しい時間帯に一気に歩きたいので朝6時に出発した。1時間半ほど歩いた細い登山道で、黒い物体と割と近くですれ違った。

僕はその黒い物体がクマだと気づいた。クマはこちらに気付いていなかった。僕は小さい声で慧くんに「止まらず歩いて」と言うと、2秒ほど歩き、クマとの距離を7~10m開けて、すぐにクマのいる方向を向いた。

ちょうどその瞬間、クマも僕たちに気付いた様子だった。大きく息を吸い込み、1回ホイッスルを思いっきり吹いた。一気に距離を離したので、クマが恐怖を感じない距離まで来ていた。

ホイッスルの音で熊はバキバキと枝を折りながらヤブの中に消えていった。もし、あの時距離を開けていなかったら結構危険だったかもしれない。 クマが逃げたその直後にヤブを踏み倒す音が別方向から聞こえてきた。おそらく子グマも一緒だったのだろう。

この後、一気に気温が上がり始めた。涌井を抜け、日陰のない道路歩きが始まり、希望湖を抜け、15時ごろようやく赤池キャンプ場に到着した。空は雲に覆われていて、すぐに雨が降り出した。雨がやんだころ、慧くんと僕は水場に行き、最後の晩餐をとった。慧くんはなにを思っていたのだろう。表情はどことなく寂しさを感じているようでもあった。

赤池のテントサイトにて、最後の夕食
赤池のテントサイトにて、最後の夕食

8日目 赤池→斑尾山頂で終了。約11km

8月18日、最終日も気温が上がる前の早朝に出発することにした。いつもと変わらない朝。いつもと変わらない歩き。いつもと変わらない会話。特別ななにかを感じることは、きっとなかったと思う。慧くんも終わりをリアルに感じていなかったのではないだろうか。

しばらく歩き、トレイルが万坂峠に差し掛かると、スキー場の急なゲレンデを一気に登る。慧くんの足取りは軽かったが、反比例するように僕の足取りは重かった。慧くんに先を歩いてもらった。斜面をものともせず、ぐんぐん登っていく慧くんの姿は頼もしかった。ゲレンデを登り終えると、小刻みなアップダウンが続いていく。さすがに慧くんにも疲れが見え始めていた。

「マサ、まだ?」という声が聞えたころ、僕たちは斑尾山頂に着いた。僕と慧くんはバックパックを降ろし、背負ってきたジュースを取り出すと乾杯をした。生ぬるくても、体と心を満たしてくれた。

ついに到達した斑尾山頂にて
ついに到達した斑尾山頂にて

トレイルが終わっても道のりは終わりではない。最後に斑尾山を下山しなくてはならない。長いゲレンデを下る。「あつ、うちの車だ!」慧くんが指をさす。一気に下ると、慧くんのお母さんの奈美さんと、加藤さんの仲間で、加藤さんの番組を作られたこともある、SBC信越放送の笠井さんが登山口で待っていてくれた。奈美さんは慧くんにハグしようと手を広げたのだったが、慧くんは恥ずかしそうに逃げた。そこには普通の高校生の姿があった。

しかし、帰りの車中では、歩いた場所を説明したり、こんなことがあった、あんなことがあったと、小学4年生のころに山形に来てチャレンジキャンプを終了した時のように、いろいろと話してくれたとか。飯山を過ぎるとスルーハイクの疲れが出たのか、すぐに眠りについたそうだ。

なべくら高原森の家でスルーハイクの踏破証を手にする慧くん
なべくら高原森の家でスルーハイクの踏破証を手にする慧くん

MAP&DATA

ヤマタイムで周辺の地図を見る

参考コースタイム 30時間11分
総距離 約61.0km
累積標高差 上り:約4,258m 
下り:約3,709m

この記事に登場する山

新潟県 長野県 / 苗場山・白根山・浅間山

苗場山 標高 2,145m

上信越高原国立公園内にある山で、第4紀火山の安山岩類からなり、頂上部は多くの池塘を光らせた4km四方に及ぶ高層湿原を展開しており、その景観と特異な山容から、越後の名山として注目され、県内外の登山者に親しまれている。 頂上には保食神の青銅像や伊米神祠、苗場七柱大神などの石塔があり、昔から延喜式内伊米神社の奥ノ院として、農民や修験の登拝があったらしい。 文化8年に塩沢町の鈴木牧之(ぼくし)が、案内や従者ら12名を伴って登山し「苗場山は越後第一の高山なり、魚沼郡にあり登り二里という。絶頂に天然の苗田あり、依て昔より山の名に呼ぶなり、峻岳の巓に苗田ある事甚だ奇なり」と、その著『北越雪譜』に苗場山紀行を載せている。 登山道は上越新幹線の越後湯沢駅から清津川を渡り、和田小屋、神楽ガ峰を経由する三俣コースや、三国峠に近い元橋からの赤湯温泉コース、飯山線の津南町から中津川を遡った秋山郷の金城山・小松原コース、小赤沢コースなどがあって、それぞれに苗場山の多様な側面を見せているが、交通、宿泊の便がよくて登山者に好まれているのは三俣コースで、マイカーを利用すれば、スキーシーズン以外は、和田小屋の徒歩20分手前の町営駐車場まで入ることができる。 かつてはブナの原生林をたどった登山道は、スキー場造成の伐開やリフト架設で昔の面影を失ったが、自然保護のため木道が敷かれて登山者に喜ばれている。 登山の対象としてよりもスキー場が有名で、苗場山を巡って民宿150軒、スキー場17カ所もの施設があり、ゲレンデに林立するスキーリフト群が山相を一変させた観がある。 一等三角点の頂上には、苗場山頂ヒュッテがあり、天然の苗田と見られた池塘群には、ワタスゲ、ヌマガヤに混じってヤマトキソウ、キンコウカ、ヒメシャクナゲなどの湿原植物が多彩で、その間にコメツガなどの低い針葉樹林が点在しており、木道に導かれた山上庭園の散歩が楽しい。もちろん上信越の山々をはじめとする展望も申し分ない。 三俣口8合目の神楽ヶ峰には、鈴木牧之の苗場登山を顕彰して、昭和15年に我が国登山界の元老である高頭仁兵衛氏らが、高さ3mの「天下之霊観」碑を建立したが、落雷か積雪の圧力かで折損放置されていたのを、平成3年に日本山岳会越後支部が、原型と同じ仙台石で霊観碑を再建している。 和田小屋からや約4時間30分で山頂に立つことができる。

新潟県 長野県 /

鍋倉山 標高 1,289m

新潟県と長野県の県境をなしている関田山脈にある山。北西に隣接する黒倉山とは、双耳峰だとする人もいるが、総称する名前はないので、別の山としている。 周囲は豪雪地としても名高く、豊かなブナの森に覆われている。山頂には二等三角点の標石と小さな祠がある。展望は木々に囲まれあまりよくないが、南側に少し下ると切り開きがあり、信州の山々と眼下に千曲川を見ることができる。

長野県 / 東頸城丘陵

斑尾山 標高 1,382m

 「北信五岳」と信州北部の人たちに親しまれている斑尾山、妙高山、黒姫山、戸隠山、飯縄山の5つの山々。ほかの4山が1917mから2450mもあるのに、この斑尾山だけは1400mたらずで、1つだけ低い。しかし、志賀高原や野沢からの帰り、茜さす山々を西空に眺めるとき、大きさからいっても、高さからいっても、決してひけをとらずに、堂々として目に映る。  斑尾山は冬はスキー場としてにぎわう。飯山側からは斑尾高原スキー場が、北西側からはタングラムスキー場が広がっている。  登路は荒瀬原から尾根道を、野尻湖を左手に見ながら登るのが楽しい。頂上の手前にある大明神岳が最も眺めがよい。山頂はそこからわずかである。一等三角点がブナの林の中に静かに座っている。帰りは斑尾高原側から万坂峠を経て古海へ降りられる。  下荒瀬から2時間30分で山頂へ。  現在では、森林セラピーのためのトレイルも整備されている。

プロフィール

齋藤正史(さいとうまさふみ)

1973年、山形県新庄市出身。ロングトレイルハイカー。
2005年に、アパラチアン・トレイル(AT)を踏破。2012年にパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)を踏破。2013年にコンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)踏破し、ロングトレイルの「トリプルクラウン」を達成した。日本国内でロングトレイル文化の普及に努め、地元山形県にロングトレイルを整備するための活動も行なっている。

延伸した信越トレイルを歩く

2021年、関田山脈に延びるロングトレイル・信越トレイルは、天水山から苗場山までの区間が新たに設定され、合計110kmに延伸された。構想段階から信越トレイルに関わった作家の加藤則芳さんが他界して10年。プロハイカーの齋藤正史さんが加藤さんをしのびながらトレイルを歩く。

編集部おすすめ記事