第一章　始まりの山｜オーストラリア大陸最高峰・コジオスコのSEA TO SUMMIT　前編

カンガルーにご注意を

出発してからすぐにさざなみの音は遠ざかり、そこにはただ進むべき一本道があった。漂う潮の香りも消えた頃、とある看板が目に留まる。

「NEXT 5km」

次の5km注意、という文字の上に、カンガルーとクマに似た謎の生き物のイラストが描かれている。

それは衝撃的な光景だった。カンガルーとその生物が道路脇で無造作に死んでいる。50頭以上。車に撥ねられたに違いなかった。

歩いているすぐそば。倒れたカンガルーに西陽が当たっていた。

このまま夜が来てしまう。このカンガルーは道半ば独り。どんなに寂しいだろうか。暗く寒い冬の夜。星々がこの道を照らしてくれれば、と願った。

夜を耐えれば必ず朝が来る。その繰り返しで、カンガルーは朽ちていき、時とともに天に召される。そんな生命の循環を「レイクイエム・フォー・カンガルー」という歌にして口ずさんだ。『愛の讃歌』のようなメロディーが降りてきていた。

私は意外とロマンチストだったようだ。ああ、困った。ロマンチックが止まらない！

「あの生き物はウォンバットだ。」

ニミッタベルで泊まったホテルの宿主・ケルビンは私に教えてくれた。ホテルの受付は彼が営むパブの店内にあった。カウンターの中でくつろぎながら、「クマかと思った」という私の感想をやけにおもしろがってくれた。「体長だって1mくらい、ずんぐりしてて内股で走るんだ。俺たちローカルには迷惑がられてるけど、それでもまあかわいいもんだよ。カワイイ」。

日本に旅行をしたことがあるらしく、「カワイイ」はそのまま日本語だった。その厳つい風采とのギャップに萌える。案外カワイイ人柄だった。

「メリンブラからたった2日でブラウン・マウンテンズを越えて来たっていうのかい？」

ニット帽を被り直しながら彼はうれしそうに驚いて見せた。

そして来る客来る客に、まるで自分のことのように私の旅を話し、自慢してみせた。田舎町にたった一つある酒場の店主よろしく、訪れる客全員と親しいようで、この街ではむしろホテルの方が「おまけ」といった印象だっ た。大抵の人は「よくやるよまったく……」といったそぶりを見せた。それは別に冷たい反応ではなく、私を認めつつも「自分は絶対にやらないよ」という意思表示が混ざっていた。ケルビンは、アイシングの氷を用意してくれた上に、夕飯をまでごちそうしてくれた。

「君が明日向かうダルゲティーまでの道では、ウォンバットの死体をそんなに見ないかもしれないな。なんせお店もなにもない道がずっと続くんだ。車通りもグッと減るよ」

翌日この「なにもない」が重くのしかかることになる。