第一章 始まりの山|オーストラリア大陸最高峰・コジオスコのSEA TO SUMMIT 前編

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今、一人の日本人冒険家がある挑戦を行なっている。プロジェクト名は「SEA TO SEVEN SUMMITS(シー・トゥ・セブン・サミッツ)」。七大陸最高峰を海から頂上まで人力で登頂するという挑戦だ。2023年4月、5つ目の頂であるデナリを登り、世界最高峰・エベレスト、南極大陸最高峰・ヴィンソン・マシフの2座を残すのみ。そんな挑戦を続ける冒険家・吉田智輝のSEA TO SEVEN SUMMITSへの旅路をたどる。今回はオーストラリア最高峰・コジオスコでの初挑戦について。

文・写真=吉田智輝

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恵みの水、土と風

ケルビンの言っていた通り、ニミッタベルを離れてすぐ、あたりには建物ひとつなくなった。枯れ草色の酪農場が広がり、風力発電の大きな風車が勢いよく回っているだけだ。

そんな「なにもない」ところで飲み水が尽きようとしていた。この日は雲ひとつない快晴。走りながら想定以上に水を飲んでしまっていた。45km以上ある行程のうちまだ半分も来ていなかった。

困り果てて歩いていると突如として民家が現われた。大平原にさながら「ポツンと一軒家」だった。私は、その家の玄関をノックし、何度か大きな声で叫んだ。勇気を振り絞って、というよりは必要に迫られてだった。

灼熱のなか、何もない荒野を進む
何もない荒野では、風車がよく回る

「エクスキューズミー!?(すみませんー!)」

ほどなくして、中から白髪の女性が現われた。いぶかしげな顔だったが、不思議と警戒はしていない様子だった。

「水がなくなりそうで、補充していただけませんか?」

彼女は半開きのドアをさらに開けて

「もちろんよ。さあ中へ入って」

と私を歓迎した。私の方がこの出会いに驚いているようだった。ボトルを渡したら水を補充してもらえるかもしれないと門を叩いたら、彼女は笑顔で私を家に招き入れてくれたのだった。まさかの展開に少し勘繰っていると、家の中から旦那さんがこちらに向かってきた。少し寂しくなった頭に太い眉。恰幅のいいその体を車椅子が支えていた。

夫妻はロジャーとヘザーと名乗った。奥に通されると、広いダイニングルームに行き着く。中央のテーブルの周りにはほどよいスペースが用意されていた。ロジャーが移動できるようにする工夫に違いなかったが、その余白が妙に心地よかった。

「水だけでいいの?コーヒーも飲む?」

急な展開に、押しかけた私の方が困惑し返答が遅れる。

「どうせ私たちも飲むから作るわ。飲んでいきなさい。時間はあるんでしょう。さあ座って座って」

ヘザーはゆっくりと柔らかい物腰だったが、どんどん話を進めていった。どこから来たか。なにをしているか。どこへ向かっているのか。珍しく、どうしてそんなことをしているかは聞かれなかった。海からここまでやってきたことに加え、この日、ニミッタベルを出てほぼ2時間走り通しで来たことにも驚いていた。

「朝ごはんは食べたの?この先ダルゲッティーまで何もないわよ。まだ8時半だし食べて行きなさい」

ああ、この方々のご厚意に甘えてもいいのかもしれない。私はようやくこの状況を受け入れ始めた。

「実はね、以前にもサトみたいな来客がうちを訪れた時があったんだ」。静かだったロジャーも口を開く。

「私も同じことを思っていた。6年前の夏ね」

「嵐の日だった。どの国だか忘れてしまったけど、北欧から来た二人組だった玄関を開けるとずぶ濡れだったよ。みすぼらしいなりだった。正直惨めだった。単純に雨と風にやられていてね。最初は驚いたけどね。どう見ても悪いことをするような奴らには見えなかった。だからうちに招き入れたんだ」

北欧の旅人は自転車でオーストラリア中を旅している若いカップルだったようだ。2晩泊まって、ロジャーたちが営むファームも手伝っていったらしい。

「酪農をやっていると旅には滅多に出られないんだ。今は息子にファームを譲ったけどね。足がこんな状態では自由に動き回れもしない。彼らの旅の話がとにかくおもかったんだよ」

今も世界のどこかを旅しているかもしれないわね、とヘザーもうれしそうだった。

「ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす」

私がこんな体験をさせてもらっているのも、その北欧の旅人たちのおかげかもしれない。そう思った。邂逅、巡り合わせだった。

「土の人」としてその土地に根ざして暮らす人々と、軽やかにさすらう旅人が「風の人」として交わる。その土地に新しい風が吹き抜け、その風もまた行く先が変わる。私が好きな旅の魅力はそこにあった。

ヘザーに家族のことについて聞かれた。故郷のことも。

アウトドアと旅が好きな母、そして歴史好きの父。ふるさと埼玉に暮らしつつも、二人の影響で旅はいつも私の身近にあった。記憶にある初めての海外旅行は家族で訪れたインドネシア・ビンタン島。高校の時イギリスの姉妹校に2週間滞在して帰ってくると、くしゃみをする友達に「ブレスユー」と言い放ち、かぶれっぷりを披露して見せた。高校を卒業した後も私は、モンゴルやアイスランド、タンザニア、インド、東南アジアなど、さまざまな土地を旅して、北米にも留学し、シンガポールでも働いた。

旅を続ける人々は
いつか故郷に出逢う日を

(作詞作曲:中島みゆき「時代」より引用)

そう中島みゆきが歌うように、私は自分なりの故郷を探し続けていたのかもしれなかった。「土の人」として根を張るそんな大地を。そう気づいた時、自分がなぜ山にも惹かれたのかを、推し量ることができた気がした。そして、ヘザーとロジャーに、海から山へと続く道に潜んでいた魅力を教えてもらったのだった。

2人に見送られて歩き始めると、ピックアップトラックが停まり、窓がゆっくりと開き、話しかけられる。ヘザーとロジャーの息子さんだった。

大平原には心地よい風が吹き抜けていた。

ロジャー&ヘザー夫妻
ロジャー&ヘザー夫妻。「風の人」が「土の人」を通り抜ける旅の一場面

その後も、「乗っていくか」と停まる車と無表情な車とが交互に通り過ぎていった。遠くには、雪を被った山脈が静かにたたずんでいた。コジオスコが鎮座するスノーウィー・マウンテンズに違いなかった。いよいよオーストラリア大陸最高峰が近づく。この先待ち受けている地獄を、私はまだ知らなかった。

次回はコジオスコのSEA TO SUMMIT後編。いよいよ荒野から山に入り景色は雪山に。

コジオスコ登山開始
コジオスコ登山開始。始まりの山のなかでも、思いがけない人々との出会いがあった
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プロフィール

吉田智輝(よしだ・さとき)

1990年生まれ、埼玉県鴻巣市出身。早稲田大学卒業後、シンガポールの外資系投資銀行に勤務。2018年9月から“海から七大陸最高峰に登る「SEA TO SEVEN SUMMITS」”の挑戦を始める。現在は長野県信濃町で登山ガイドなどを行ないながら生計を立て、残り2座(エベレスト、ヴィンソン・マシフ)の海からの登頂をめざす。

海から七大陸最高峰へ -冒険家・吉田智輝の挑戦-

海から七大陸最高峰の登頂をめざすSEA TO SEVEN SUMMITSに挑戦中の冒険家・吉田智輝さん。現在は七大陸最高峰のうち5座に海から登頂している。彼はなぜ、この登り方に憑りつかれたのか・・・。本人が語る冒険譚をお届けします。

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